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IT業界の冒険者たち

第10回 ランボースタイルの軍隊的経営

脇英世
2009/5/25

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

クレイグ・ベンソン(Craig Benson)
ロバート・レバイン(Robert Levine)――
ケーブルトロン・システムズ創業者

 ケーブルトロン・システムズは、イントラネットとインターネットにおけるネットワーク機器を取り扱う会社であり、LAN関連の企業としては古参の名門として知られている。ケーブルトロンは1983年、クレイグ・ベンソンとロバート・レバインの2人によって、マサチューセッツ州アッシュランドのガレージで創立され、1985年ニューハンプシャー州ロチェスターに移転した。

 わたしは、西海岸のサンタクララにあるケーブルトロンの工場を訪れ、内部を見学したことがあるため、その創始者クレイグ・ベンソンについては、以前から紹介したいと考えていた。そこで、かなり前からファイルを用意して情報収集をしてきたのだが、一向にデータがたまらない。謎のような人物であった。どうしてデータが集まらないのか不思議だったが、意図的にデータの流出を抑えていたようである。

 クレイグ・ベンソンの経歴は、いまもなお不明瞭な点が多い。ケーブルトロンを立ち上げる1983年以前にインターランという会社に勤務していたことは分かっているが、それ以外はまったく謎である。出身、学歴、職歴に関することは何1つ分からない。ちなみに唯一の手掛かりといえるインターランという会社も、すでになくなっており、現存するインターランという会社とはまったく無関係である。また、もう1人の創業者ロバート・レバインも、1983年以前の情報が極めて乏しい。マサチューセッツ州生まれということくらいしか分からないのである。

 さて、ケーブルトロンの本社は、ボストンから車で1時間45分もかかる辺鄙(へんぴ)な場所にある。どうしてニューハンプシャー州にあるのだろうと疑問に思ったものだが、この場所こそが重要なのだそうだ。ニューハンプシャー州には「自由に生きるか、しからずんば死か」というモットーがあり、この伝統がケーブルトロンという会社の文化に与えた影響は大きい。クレイグ・ベンソンは、あるインタビューで「自由に生きるか、しからずんば死か」という州のモットーを引用している。この戦闘的とも取れるスローガンを意識したのだろう。自由のために圧制と戦う民兵と人民の武装の権利は、合衆国憲法の保障するところである。軍隊や銃器に対するニューハンプシャー州の考え方は、そのままケーブルトロンの文化に影を落とした。

 ケーブルトロンという社名は、もともとイーサネットケーブルなどのネットワーク用ケーブルを切り売りしていたところに起源がある。ネットワークケーブルのベンダとして出発したのだが、計り売りという柔軟さにミソがあった。「ユーザーに必要なものを必要なだけ、お売りしましょう」というのである。

 ケーブルトロンはガレージで生まれた会社である。当然ながら、セールスマン上がりである無名の彼等に出資するベンチャーキャピタルなどなかった。2人は自分たちの家を抵当に入れ、銀行から多額の借金をして会社を始めた。吝嗇(りんしょく)とかケチと非難されたことのあるケーブルトロンだが、こうしたつらい原体験があるのである。創業当時、同社に幸いしたのは不況だった。世間がひどい不況のおかげで、解雇されて職のない労働者を通常の数分の1の賃金で雇えたのである。このことは、会社の成長において有利に働いたが、社員に低賃金で長時間連続で働くことを期待するのはケーブルトロンの悪しき伝統となってしまった。

 ケーブルの切り売りから事業を始めたケーブルトロンだったが、ケーブルの敷設、インストール、機器のテスト、そしてネットワーク機器の製造へと次第に会社の事業を拡大していった。同社の社風は、攻撃的なことと一切の飾りを省くこと、そしてしまり屋であることだった。例えば、会議を短く簡潔にするため、会議室にはいすを置かなかった。また、1995年になっても、クレイグ・ベンソンとロバート・レバインの年俸は5万ドルにすぎなかった。日本円に換算すれば500万円程度である。会社の最高幹部の給料がこうなのだから、社員は多額の給料を期待することはできない。だが一方で、この2人は5億ドルの株式を売却しており、十分に潤っていたのである。

 ケーブルトロンは驚異の発展を遂げている。1988年、ネットワークのインストールを簡素化するインテリジェント・ワイヤリング・ハブMMAC(Multi Media Access Center)を発表すると、翌年の1989年には株式を上場した。そして1990年ごろには、すでにネットワーク業界でナンバーワンになっている。ケーブルトロンは代理店を使わず、直販部隊による販売を特徴とした。また、企業の合併や吸収などを行わなかった。この戦略がプラスに働くこともあったが、悪い面もあった。小さな会社にとどまっていたため、会社の経営が組織の論理でなく、最高幹部個人の性格に左右されやすくなったのである。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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