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IT業界の冒険者たち

第10回 ランボースタイルの軍隊的経営

脇英世
2009/5/25

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 直販部隊の指揮を執ったロバート・レバインは軍服で身を固め、部下を前に演説する際にはバスケットボールに戦闘用ナイフを突き立てて気合を入れるという荒っぽいパフォーマンスを見せたという。ちなみにロバート・レバインは各種軍用車両を集めており、戦車まで所有していたらしい。ただ持っていただけでなく実際に走行させて、戦車がひっくり返るという事故まで起こしたというのだからあぜんとする。また、肉体を鍛えており、アマチュア重量挙げの選手であったという。クレイグ・ベンソンもロバート・レバインほどではないが、社員の首を簡単に切る、戦闘的で激しい性格の持ち主であったという。

 ケーブルトロンでは「男の世界」が強調され、男性社員ばかりが雇われ、女性社員が排除されたり、差別を感じさせるような事例があった。そうかと思えばロバート・レバインが美人の社員とデートしてひいきをしたようなことが発生した。また、社員は会社に対して絶対に忠誠を尽くさねばならなかった。つまり、映画『ランボー』の世界を地でいったわけである。ただし現在では、近代的な雇用関係に移行しており、社員募集の欄には、はっきりと「ケーブルトロンは、個人を平等に機会を与えられた従業員として、人種、肌の色、年齢、性別、結婚経験、宗教、出身国、祖先、障害に関係なく、雇用します」と書いてあるので、誤解のないようにしていただきたい。

 1994年ごろ、ネットワーク業界の主要な製品はハブとルータであった。ハブではケーブルトロンとシンオプティクスが争い、ルータではシスコとウェルフリートが争っていた。少々ややこしくなるが、勝ち抜き、生き残るためにシンオプティクスとウェルフリートが合併して、ベイ・ネットワークス(現在のノーテル・ネットワークス)をつくった。この合併は力のバランスを崩した。そこで、ケーブルトロンとシスコは連合軍を結成して、ベイ・ネットワークスと対峙(たいじ)することになった。ケーブルトロンはシスコ製ルータのボードをOEM供給され、しばらくは2社の間に蜜月が続いた。

 ところが、ジョン・チェンバース率いるシスコは、1993年夏から猛烈な企業買収戦略に乗り出し、たちまち巨大企業に成長してしまった。あっという間にケーブルトロンは業界首位の座を転げ落ち、シスコとケーブルトロンの戦力比は3対1程度になった。このため、堪まりかねたケーブルトロンは、1996年夏からシスコに対して全面戦争を宣言した。ケーブルトロンの社員は「シスコ打倒作戦」と書いたTシャツを着るよう命じられ、販売担当の重役は軍服を着せられた。そのうえ、ロバート・レバインは、1996年の「ネットワールド/インターロップ」でアームレスリング大会を開き、マッチョ俳優のジョー・ピスチポと腕相撲までやってのけた。メジャーな大企業の情報処理システム部門に食い込むことが社の新たな目標であったとすれば、少々ピントが狂っていたとしか考えられない。また、ロバート・レバインがシスコなど競争相手のルータ製品の箱を壊しては鉢植えの箱にして自社内に展示するようなことも世間的に良くなかった。1996年秋には、ケーブルトロンとシスコの戦争は、ほぼケーブルトロンの敗北ということで帰趨(きすう)がはっきりする。

 この敗北の反省から、ケーブルトロンは方針転換を図ることになった。第1にランボースタイルの軍隊式経営を廃してスーツスタイルの近代的な経営に移行すること、第2に直販形式を代理店形式に改めて販売チャネルを作り上げること、第3にシスコに負けないような技術を獲得することという3点であった。シスコは買収によって新技術を入手したので、負けずに買収戦略を始めるのである。しかし、すべては遅すぎた。1997年8月、ロバート・レバインはケーブルトロンを辞めた。自ら白旗を揚げたのである。ちなみに、ロバート・レバインは1997年の時点でケーブルトロンの株式を910万株持っていたことが確認されている。一方、クレイグ・ベンソンが、同年所有していたケーブルトロンの株式は1930万株だった。

 ロバート・レバインの跡を継いだのは、ナイネックスから来たドン・リードだった。近代的経営を目指し、ヤゴ・システムズやDECのネットワークハードウェア部門を買収したが、これはあまり有効でなく、ケーブルトロンの経営にはすぐに寄与しなかった。会社の業績と株価は下がり続け、800人の社員を解雇せざるを得なくなったドン・リードは、こうした責任を取らされ、1998年にたった7カ月の在任期間でケーブルトロンを追い出された。このため、創業者のクレイグ・ベンソンが最高経営責任者となった。しかし、1999年9月にはケーブルトロンを去っている。

 こうしてケーブルトロンからは創業者の肩書を持つ経営者はいなくなってしまった。

 『フォーブスASAP』誌が発表した1998年度の米国ハイテク企業長者番付によると、クレイグ・ベンソンは44位、ロバート・レバインは89位にランクインしている。会社経営に破れたとはいえ、アメリカンドリームを実現した2人なのである。2001年2月ケーブルトロンはリバーストーン・ネットワークス社を創立した。リバーストーン・ネットワークスは電気通信事業者向けにルータなどのネットワーク機器を製造する会社である。さらに2001年8月ケーブルトロンはエントラシス社を設立した。エントラシスはビジネス用のネットワーク機器を製造する会社である。これと同時にケーブルトロンは持ち株会社となり、株式公開会社としては姿を消した。

 ケーブルトロンは表面的には姿を消し、リバーストーン・ネットワークスとエントラシスが残ったわけだが、ブランド名を浸透させるのは大変だろう。

 クレイグ・ベンソンは政治への道を歩んでいるようだ。むろん共和党である。ブッシュ大統領と一緒に写っている写真がある。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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