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IT業界の冒険者たち

第14回 シスコを巨大企業にした男

脇英世
2009/6/3

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

ジョン・チェンバース(John Chambers)――
シスコシステムズ社長兼CEO

 ネットワークの名門企業シスコシステムズ(以下シスコ)は、スタンフォード大学のレオナルド・ボサックとサンドラ・レルナーによって1984年に設立された。初期の製品はルータだけで、顧客は大学、軍、政府機関が中心であった。シスコはあまり広告活動を行わなかったが、製品の優秀性と手厚いサポートには定評があった。1988年、シスコはそれまでの殻を破り、大企業相手の市場に乗り出した。しかし、たちまち資金は欠乏し、ベンチャー資本セコイア・キャピタルのドナルド・バレンタインに頼らざるを得なくなった。シスコの過半数の株式を取得して支配権を握ったドナルド・バレンタインは、シスコの会長に納まった。

 ドナルド・バレンタインは、元GRiD(グリッド)システムズのCOOであったジョン・モーグリッジを雇い、社長兼最高経営責任者(CEO)に据えた。経営の専門家を雇ったのである。ジョン・モーグリッジによる新体制の下でシスコの業績は伸び、1987年には売り上げが150万ドルだったのが、1989年には2800万ドルにまで躍進した。2年で18倍に成長したのである。好業績の中、シスコは1990年にNASDAQ(ナスダック)に株式を公開した。同年ジョン・モーグリッジは、対立関係にあった創業者のレオナルド・ボサックを解雇している。レオナルド・ボサックは会社を去り、サンドラ・レルナーもこれに続いた。

 1993年、ジョン・モーグリッジは突然、シスコの社長兼最高経営責任者からの引退を表明し、後任にジョン・チェンバースという人物を指名した。この事態に慌てた取締役会はしきりにジョン・モーグリッジを慰留するが、一歩も引かず、辞意は固かった。そこで、取締役会はジョン・モーグリッジの辞任を認めるとともに、ジョン・チェンバースの社長就任を認めた。正式にはジョン・チェンバースは、1995年1月から社長兼最高経営責任者となった。ジョン・モーグリッジは会長職に退いている。

 新社長兼最高経営責任者となったジョン・チェンバースは、ウェストバージニア州で医師の息子として生まれた。インディアナ州立大学に進学し、経営学修士号を修めている。IBMとワング・ラボラトリーズに勤務した後、1991年に米国国内担当の上級副社長としてシスコへ入社した。仕事では営業の模範のような人物で、人の名前や顔を覚えるのが早く、顧客の会社を頻繁に訪問することを欠かさないという。コミュニケーション能力に長けているだけでなく、新しいマーケットに対する洞察力に富んでおり、危険を冒すことを恐れない。「ジョン・チェンバースの体内には怪物が潜んでいる」といわれたこともある。それほどのやり手と評価されている。ビジネスではモンスター扱いだが、いつでも笑みを絶やさない人柄で、ソフトな話し方をし、話や講演も上手だ。スポーツではテニスが得意らしい。

 ジョン・チェンバースが経営権を任された当時、ネットワーク市場でトップに君臨していたのは、技術力に優れたケーブルトロン(cabletron)で、続く2位はシンオプティクス(Synoptics)、3位は3Comであった。これらの企業は、どれもスタンフォード大学の近くにあるこぢんまりした会社であった。わたしも、COMDEX帰りなどに企業訪問したものだったが、当時のこれらの会社は町工場みたいなものだと感じた。工場を見学させてもらうと、実際には組み立てしか行っておらず、部品はどこか別の場所から納入されていた。それに加え、互いに製品のOEMを行っている状況だった。従って、当時これらの企業による製品に優劣をつけることには、あまり意味がなかったに違いない。中身はライバル会社の製品かもしれないのだ。

 ジョン・チェンバースは、極めて思い切った経営戦略を実行している。まず手始めに、1993年当時のネットワーク市場においてセグメント別で力を有していた企業を分析し、以下のとおりに列挙した。

  • ATM市場ではフォア(Fore)

  • 低価格アクセス市場ではアセンド(Ascend)

  • WANスイッチング市場ではカスケード(Cascade)とノーテル(Nortel)

  • メインフレームにおけるインターフェイス市場ではIBM

 最初に敵を知ろうと、この分析を行ったのだが、最後の分析だけは正しくなかった。ジョン・チェンバースはIBMに勤務していたことがあるため、IBMを過大評価し過ぎていた。IBMは確かに強大であったが、あまりに巨大すぎて小回りが利かず、それほど簡単には動けなかったのである。次に、1993年当時のシスコが持つ実力を分析した。それによると、ルータ市場とWANフレームリレー市場では第1位、ATM市場とセキュリティ、ファイアウォール市場では第2位だった。1993年8月、ジョン・チェンバースはシスコとの合併先として、シンオプティクスもしくはケーブルトロンを考えていたが、これらは実行に移されなかった。その代わりに、ヒューレット・パッカードから学んだ市場のセグメント化という哲学を採用し、これにGEから学んだ哲学を統合した。つまり、各セグメントでナンバーワンもしくはナンバーツーのプレーヤーとなることである。そこで、ジョン・チェンバースは市場をセグメント化したマトリックスを書き、弱い部分には合併戦略を採用していこうと考えた。弱いセグメントでは、有力企業を買収することで第1位になろうとしたのである。そこで目を付けた企業がクレシェンド・コミュニケーションズであった。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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