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IT業界の冒険者たち

第27回 アパッチを率いた男

脇英世
2009/6/24

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

ブライアン・ベーレンドルフ(Brian Behlendorf)――
アパッチ・プロジェクトの共同設立者

 いま世間の耳目を集めているのは、マイクロソフトの動向だろう。光の部分ではマイクロソフトの収益性は極めて良く、ウィンドウズCEを端末のOSに使ってもらうという含みでAT&Tに50億ドル(約6000億円)という巨費を投資できたりする。これまでにマイクロソフトはWebTVに約500億円、コムサットに1000億円投資しているが、今回さらに6000億円を投資した。マイクロソフトにはお金が余っていることを感じさせる。

 陰の部分では、ウィンドウズ2000の開発は難航し、Linuxに間隙を突かれている。さらにWebサーバの分野では、マイクロソフトのIIS(Internet Information Server)はアパッチに完膚なきまでにたたきのめされている。このアパッチを開発したのが、ブライアン・ベーレンドルフである。

 ブライアン・ベーレンドルフは1973年生まれである。1992年にUCバークレー(カリフォルニア州立大学バークレー校)の物理学科に入学したが、中退している。ドロップアウトといった方が適切かもしれない。サンフランシスコの若者文化の中で青春を謳歌(おうか)していたようである。余談であるが、この人の写真は一見の価値がある。とてもひょうきんな顔をしている。

 UCバークレーではインターネットを介してSFレイブズという集まりを伴った。SFはサンフランシスコの略で、空想科学小説のことではない。レイブは口語で無理には訳せない。取りあえずは熱狂的な連中と理解すればいいだろう。実験的な傾向の音楽、ダンス、芸術の情報交換をしたり、パーティを開いたり、旅行をしたり、つまりはドンチャン騒ぎをやる人間の集まりである。こういうものは感覚的に理解するものではないだろうか。

 1992年、UCバークレーを中退した後、ブライアン・ベーレンドルフはスタンフォード大学のシステム・アドミニストレータになり、そこにあったサン・マイクロシステムズのスパーク1にアクセスすることを許された。このtechno.stndard.eduというマシンがSFレイブズの本拠地になったらしい。これが目に余ったらしく、1993年にスタンフォード大学はtechno.standard.eduの管轄権を取り戻した。

 1993年、ブライアン・ベーレンドルフは『ワイアードマガジン』で働いていた。仕事はWebサーバの保守であった。ブライアン・ベーレンドルフは『ワイアードマガジン』のサブネットに自分のサーバを接続することを許された。そこでSFレイブズがハイパーリアルという集まりになった。Hyperreal.comというマシンは当初、CPUがペンティアム90MHz、メインメモリ96Mバイト、ハードディスク容量6Gバイトといった仕様で、BSDI2.0を積んでいた。1997年にはHyperreal.orgいう名前に変更し、CPUがペンティアムII に強化されたほか、メインメモリ256Mバイト、ハードディスク10Gバイトとなり、フリーBSD2.2を搭載した。ブライアン・ベーレンドルフはLinux党ではなく、フリーBSD党であるのが面白い。

 1993年後半、ブライアン・ベーレンドルフは『ワイアードマガジン』をインターネットに載せようというホットワイアード計画の主任技術者になった。これがアパッチの開発につながっていくのである。

 1994年3月、スイスのジュネーブで第1回国際WWW会議が開かれたとき、ブライアン・ベーレンドルフも参加していた。3Dのバーズ・オブ・フェザー・セッションが終了した後、ブライアン・ベーレンドルフはマーク・ペスを追いかけて道端のコーヒー店に入って話をした。熱い議論が戦わされ、その結果VRMLメーリングリストができた。面白いことには何にでも手を出していたらしい。

 1994年当時、ホットワイアードの計画のために利用できたHTTPサーバはNCSAのロブ・マックールの開発したNCSA HTTPd1.3だけであった。NCSA HTTPd1.3は問題が多かったので、いっそ自分で作ってしまえということになった。これがアパッチ(Apache)である。

 NCSAHTTPd1.3の開発は、開発担当のロブ・マックールが1994年半ばにイリノイ大学からネットスケープに出て行ったので頓挫してしまった。もちろんNCSAでもNCSAHTTPd1.4の開発が行われ、ネットスケープではアリ・リオトネンを中心にネットスケープ・サーバの開発が進められた。しかし、そのほかにもNCSAHTTPd1.3を継いだ多くのグループがあった。

 1995年2月、ブライアン・ベーレンドルフとクリス・スコールニクを中心としたボランティアのグループができた。2人は、インターネットのメーリングリストを作り、情報空間を共有した。メーリングリストを作るというのがブライアン・べーレンドルフのやり方らしい。

 アパッチの開発はコアグループを中心に行われる。1992年末にはコアグループは二十数名になった。コアグループに入るにはコアグループのメンバーの推薦が必要で、さらにほかのメンバーの承認がいる。推薦の条件はアパッチの活動に目立って貢献していることである。アパッチグループは実力主義で、やればやるほど活動の舞台が広がることになる。

 アパッチのメーリングリストに登録された人には1日数十通のメールが行き交い、付け加えたい新機能や、バグフィックスや、ユーザーの問題や、開発の問題や、リリースの日取りなどが、くだけた調子で話し合われる。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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