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IT業界の冒険者たち

第33回 インターネットの若き覇者

脇英世
2009/7/6

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

マーク・アンドリーセン(Marc Andreessen)――
モザイク開発者、ラウドクラウド最高経営責任者

 インターネットがものすごいブームだ。実際に自由に使える環境にある人はどれだけいるのだろうかと疑問に思ったりする。インターネットはモザイク(Mosaic)の存在なしには、現在の成功を収めることはなかっただろう。モザイクはあっという間にFTP、TELNET、GOPHER、WAIS、WWWなどの古いWebブラウザを押し退けて普及した。

 それまでのインターネットのWebブラウザは、どれも使いにくい文字ベースのインターフェイスであった。そこへ登場したモザイクはウィンドウズ風のGUIを採用した、極めて使いやすいWebブラウザだ。インターネットの商用化による開放と、モザイクの出現はインターネットの爆発的普及に大きな効果があった。そのモザイクを開発した人物とは。

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 マーク・アンドリーセンは一時、第2のビル・ゲイツとして期待された逸材である。アンドリーセンは学生時代に親友のエリック・ビナとともにモザイクというインターネット・ブラウザを開発し、全世界にインターネット・ブームを巻き起こした。続いてモザイクを改良したネットスケープというWebブラウザを開発した。このWebブラウザは、一時、全世界のインターネット・ブラウザの85%のシェアを取った。マーク・アンドリーセンこそは文字どおりインターネットの革命児であった。

 マーク・アンドリーセンはビル・ゲイツとは対照的な育ち方をしている。

 ビル・ゲイツはワシントン州シアトル屈指の名門の金持ちの息子として生まれた。ビル・ゲイツの父親はシアトルでも有名な弁護士で、母親はシアトルの銀行家の娘だった。

 マーク・アンドリーセンはウィスコンシン州の小さな田舎町のニューリスボンの平凡な家庭に生まれた。マーク・アンドリーセンの父親は農業関係のセールスマンで、母親は小売カタログ会社に勤めていた。

 マーク・アンドリーセンとコンピュータのかかわりは、町の図書館でBASICの独習を始めたことから発する。初めてパソコンに触ったのが学校の図書館のパソコンだったという。マーク・アンドリーセンの最初のプログラムはバーチャル・カルキュレータ(仮想電卓)というものだった。問題となったのは、毎夕、図書館の閉館時刻には、せっかくのプログラムを消さざるを得ないことだった。そこでマーク・アンドリーセンの両親はコモドール64という安いパソコンを買い与えた。わたしも覚えているがずいぶん安い貧弱なパソコンであった。低価格パソコンにも存在意義があるのだと再認識させられる。

 ビル・ゲイツが上流家庭の師弟の通う私立学校、ついで名門のハーバード大学へ進んだのに対して、マーク・アンドリーセンは公立学校、イリノイ大学へと進んだ。

 勉強はできた方らしく、コンピュータや数学はむろんだが、歴史、英語などの文科系の科目の成績も良かった。ビル・ゲイツがほとんどコンピュータとお金もうけにしか関心を示さないのに対して、マーク・アンドリーセンの興味や関心は多彩で、古典音楽、歴史、哲学、メディアと広がっている。

 マーク・アンドリーセンはマイクロソフトに対しては極めて戦闘的であるといわれているが、こうした対照性に原因があるかもしれない。

 マーク・アンドリーセンはイリノイ大学に入学し、イリノイ大学のNCSAというコンピュータ・センターでアルバイトをしていたが、1992年11月、年上のエリック・ビナにグラフィカル・ユーザー・インターフェイス付きのインターネット・ブラウザを書こうと持ち掛けた。すでにエリック・ビナはイリノイ大学のコンピュータ学科で修士号を取得して、NCSAの技術職員として働いていた。

 2人はティム・バーナーズ・リーのWWW(ワールド・ワイド・ウェブ)という技術を参考にして6週間で9000行のプログラムを書いた。これがモザイクと呼ばれるWebブラウザである。このモザイクはインターネット経由であっという間に全世界に広がった。ただしプログラムの開発はNCSAで行われたので、プログラムの著作権はイリノイ大学のNCSAにあった。

 イリノイ大学の失敗はマーク・アンドリーセンが1993年秋に学部を卒業すると、イリノイ大学のNCSAからマーク・アンドリーセンを追い出してしまったことにある。たかが一介の学生と思ったのだろう。追われたマーク・アンドリーセンはシリコンバレーのEITという会社に就職した。マーク・アンドリーセンは安アパートを借りてフォード・マスタングを買った。そしてやがてフィアンセとなる金髪の美女エリザベス・ホーンに会った。

 1994年2月『ジュラシック・パーク』のグラフィックスで一躍有名になったSGI(シリコン・グラフィックス)の創業者で会長であり、すでに前年の秋SGIを去っていたジム・クラークから電子メールをもらった。

 「ご存じないかもしれませんが、わたしはシリコン・グラフィックスの創業者です」に始まる有名な手紙である。この電子メールをきっかけに2人は出会う。ジム・クラークの家で単に話をするだけのはずがヨットで熱い語らいになった。ジム・クラークはマーク・アンドリーセンと話すうちに、セットトップボックスやゲームへの夢をさっと捨て、インターネット分野への参入を決意する。この辺のジム・クラークの変身の素早さが、先見の明があるとも抜け目がなさ過ぎるともいわれやすいところである。

 しかし、ジム・クラークは電光石火素早く行動し、マーク・アンドリーセンとともに飛行機に乗ってイリノイ州に飛び、NCSAのモザイク開発チームの中核であるエリック・ビナ、ロブ・マックール、ジョン・ミッテルハウザー、アレックス・トテイク、クリス・ハウクを引き抜いてしまう。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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