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IT業界の冒険者たち

第35回 ギャンブラー的仕掛人

脇英世
2009/7/8

第34回1 2次のページ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

ジム・マンジ(Jim Manzi)――
元ロータス社長兼CEO

 ロータスのCEOであるジム・マンジの前職は、マッキンゼーの経営コンサルタントである。彼は1980年代を風靡(ふうび)した典型的なヤッピー世代である。その冷徹でスマートな手腕は、パソコン界の創業者に多いヒッピー世代とは明らかに一線を画している。ロータスの社長に就任して以来10余年、彼はマイクロソフトとの戦いに明け暮れていたが、敗れ去った。

 大前研一氏の『インターネット革命』(プレジデント社)は、次のような文章で始まっている。「数年前のことになる。ニューヨークから東京に帰るとき、JALのラウンジでロータスの会長であるジム・マンジにバッタリ会った。彼は今でこそ億万長者となっているが、わずか10年ほど前、マッキンゼーでわたしと、日本企業の対米進出についてのプロジェクトをこつこつとやっていたのだ」

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 ジム・マンジはマッキンゼー&カンパニー(マッキンゼー)出身だったのだなと思い起こさせる。ジム・マンジについてのエピソード的な文章は極めて少なく貴重な記述である。

 続いてジム・マンジが大前氏にロータスノーツを紹介した話が出てくる。「その彼が、機内でパーサーと交渉し、いつの間にかわたしの隣に座り込んできて、あるものを見てくれ、と言う。(中略)ところが隣に座ったマンジは、カバンからコンパックのパソコンを取り出し、いま開発中のノーツというプログラムをぜひ見てほしい、と言って、延々とそのデモを始めたのである」

 この本はインターネットの本であるが、ロータスのグループウェアであるノーツに触発されたところがかなりあるようだ。筆者の個人的な立場からいうと、インターネットについての話も面白いが、大前氏が知っているジム・マンジの人間像をもっと書き込んでくれたらさらに面白かった。

 ロータスは、1982年4月ミッチ・ケイパーによって創業された。ロータスの最初の製品ロータス1-2-3は、ビジカルクも、マイクロソフトのマルチプランをも凌いで大成功を収める。しかし、創業者であるミッチ・ケイパーは、すぐにロータスの経営に飽きる。

 1983年にミッチ・ケイパーは、マッキンゼーからスカウトしてきたジム・マンジに次第に会社の経営権限を委譲し、開発担当の方へ逃避していく。1984年10月、ジム・マンジがロータスの社長となる。続いて1986年7月、ミッチ・ケイパーはロータスの会長職を退く。代わってジム・マンジが会長となった。ジム・マンジは10年、あるいはそれ以上の長きにわたってロータスを率いてきた総帥である。

 それくらいは知られているが、ジム・マンジの経歴には分からないところが多い。個人主義的な性格で、あまり自己について語らないからだともいわれている。旧来の部下でも、ジム・マンジの過去については、ほとんど分からないらしい。従って、ジム・マンジについて伝えられるエピソードはほとんどない。何年に、どこで生まれて、どういう環境で育ったかなどについては、全然分からない。業界最大手の経営者にしては珍しい。

 小さな会社の場合は、プレス向けの資料に宣伝のために経営者の略歴を書いた資料が入っているが、ロータスのように大会社ともなると、会社の権威付けも必要がないから、経営者略歴も入っていない。手元にあるロータスのプレスキットを何年分か調べてみたが見当たらなかった。

 ジム・マンジについて分かっているのは、コルゲート大学で古典文学で学士号、タフツ大学では国際関係論で修士号を取っていることと、『ナショナルレビュー』誌でライター、『ガーネットデイリーニュース』紙でレポーターをしていたことである。ジム・マンジの初めの仕事はジャーナリストであった。それからさらにマッキンゼー&カンパニーへ移って経営コンサルタントをしている。しかし、マッキンゼー時代の活動についてもほとんど分からない。

 趣味は野球で、ミッキー・マントルを崇拝し、文学はT・S・エリオットの詩を好む。これは確実らしい。またジム・マンジはビル・ゲイツと同じくギャンブル好きらしい。昼食も極めて簡素で、朝早くから猛烈に働くワーカホリックであると伝えられるところも似ている。

 ジム・マンジは、わりに小柄な体格をしていて、おしゃれで、もの静かな感じを与える人だが、冷徹な部分もあるらしく、パソコンの歴史を見ていると、かなりドラスティックな仕掛けもやってのけている。時々見られる大胆な合併戦略もその一例だ。ギャンブル的なところがある。

 1986年、ロータスとマイクロソフトの合併が計画されたが、これは実らなかった。ジム・マンジもビル・ゲイツもこの計画にはあまり積極的ではなかったといわれる。

 1990年、ロータスはネットウェアというネットワークOSで有名なノベルを吸収合併しようとした。これは直前で瓦解した。実現していたら、業界を大きく変えていただろう。また同じ年、ロータスはワープロソフトウェアのサムナ社を買収した。翌1991年、電子メールソフトのシーシーメール(cc:Mail)社を買収した。

 合併戦略だけでなく、社内の機構改革も時に極めて大胆にやってのける。これはマッキンゼー時代に経営コンサルタントであった経験からだろうといわれている。冷たい一面もあるらしいが、大企業の総帥ともなれば、そうそう甘い顔もしていられないのは当然だろう。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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