自分戦略研究所 | 自分戦略研究室 | キャリア実現研究室 | スキル創造研究室 | コミュニティ活動支援室 | エンジニアライフ | ITトレメ | 転職サーチ | 派遣Plus |

IT業界の冒険者たち

第35回 ギャンブラー的仕掛人

脇英世
2009/7/8

前のページ1 2

 ジム・マンジの最初の仕事は、ロータス1-2-3の次期製品としての統合ソフトウェアであるシンフォニープロジェクトだったらしい。同じころロータスは、マッキントッシュ用ジャズという統合ソフトウェアの開発を考えていた。1984年2月、ロータスはIBM PC用に統合ソフトウェア、シンフォニーを発表した。シンフォニーはそれほどのヒットとならず、ジャズは1986年ころ、マイクロソフトのマッキントッシュ用エクセルの前に挫折する。新製品の開発があまりうまくいかなくとも、ロータスは安泰だった。1-2-3が無敵の強さを発揮していたからである。1-2-3の首座が揺らぐのは、1980年代の終わりにウィンドウズ用エクセルが猛威を振るうようになってからである。

 1980年代は、MS-DOSのマイクロソフト、1-2-3のロータスという図式で進行した。1987年にIBMとマイクロソフトがOS/2の開発を発表すると、ロータスはIBMに最も忠実なソフトウェア会社としてOS/2を支持し続けた。ロータスがOS/2だけでなく、ウィンドウズ路線も取るようになったのは、1990年代に入ってウィンドウズ3.xが圧倒的な強さを発揮してからである。

 ジム・マンジは、ソフトウェア業界の最大勢力であるロータスを率いながら、なかなかヒットに恵まれなかった。ロータスの経営はミッチ・ケイパーの作り出した1-2-3に支えられていた。ジム・マンジとしては、何としてもヒット商品を出したいところだったろう。

 最近のロータスのヒット商品として、グループウェア市場を押さえているロータスノーツがある。マイクロソフトもマイクロソフトエクスチェンジという対抗商品の開発を表明せざるを得なくなった。

 ノーツの開発者はレイモンド・オジーである。レイモンド・オジーは、1981年ごろからノーツのアイデアを持っていたらしい。1984年の末ごろ、ミッチ・ケイパーはロータスがレイモンド・オジーのアイデアを支援することを決定した。ノーツの開発には時間がかかり、またノーツを使えるようなパソコンのネットワーク環境の成熟にも時間がかかった。ノーツがようやく商品として成立する環境が生まれたのは、1989年ごろからだといわれている。

 レイモンド・オジーによれば、ノーツの開発目的は、距離や時差にとらわれず、ビジネス界の人々がお互いに協調して知識や経験を共有できるようにすることである。

 ノーツは年々倍増の勢いで伸びてきており、1994年には60万本が売れた。ノーツの市場はまだそれほど大きくないが、ロータスのノーツにかける期待は大きいといわれている。オフィス製品では、マイクロソフトに押され気味である。ロータスの活路はネットワーク関連製品にあり、ロータスは実に全研究費の60%をネットワーク関連製品に注いでいたともいわれている。

 1995年7月、IBMは突如、ロータスの敵対的買収を宣言した。IBMのルー・ガースナー会長はロータスのノーツが欲しかったのだ。ルー・ガースナー会長は、もともと企業買収を本職としていただけあって、ジム・マンジの「ポイズン・ピル」戦術や「白馬の騎士」戦術を動員しての防戦などものともせず、あっという間にロータスを傘下に収めた。鮮やかな手際であった。IBMがロータス買収に投入した資金は33億ドルであるが、ジム・マンジはこの買収に際して7000万ドル程度を手中にしたといわれている。

 ジム・マンジは買収受諾に当たってIBMの役員としての地位を獲得するが、いたたまれずに100日程度で辞めてしまう。追い出されたという方が適切だろう。ジム・マンジは1996年1月、インダストリー・ネット社の会長兼社長兼CEOに就任する。インダストリー・ネットの役員にはIBMに買収されたロータスから幹部を引き抜いた。ジム・マンジの就任を機にインダストリー・ネット社は本社をピッツバーグからボストンに移した。資金は潤沢であった。かなりずさんな放漫経営であったといわれる。もっとも、負ければ必ずそういわれるのかもしれない。1996年8月、インダストリー・ネット社はAT&Tニュー・メディア社と合併し、社名をネッツ・インクに変更する。

 1997年1月、ジム・マンジはAT&T関係の業務を停止する。続いて1997年2月、ネッツ・インクは経営が悪化し、5月に裁判所に破産認定の申請を出した。あっという間にすべてが終わったのである。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

前のページ1 2

» @IT自分戦略研究所 トップページへ

自分戦略研究所、フォーラム化のお知らせ

@IT自分戦略研究所は2014年2月、@ITのフォーラムになりました。

現在ご覧いただいている記事は、既掲載記事をアーカイブ化したものです。新着記事は、 新しくなったトップページよりご覧ください。

これからも、@IT自分戦略研究所をよろしくお願いいたします。