第37回 こわもてのストリートファイター
脇英世
2009/7/10
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
フィリップ・カーン(Philippe Kahn)――
元ボーランド社長兼CEO
読者にとって、ボーランドというソフトメーカーは、ロータスやマイクロソフトなどと比べるとなじみの薄い会社かもしれない。だが、ソフト開発者向けソフトやハイエンドなデータベースでは業界のリーダー的な存在である。ボーランドの創業者であるフィリップ・カーンは、もともと数学科卒業のフランス人だった(*1)。彼は、いかにして業界3位のソフトメーカーをつくり上げたのだろう。
(*1)フィリップ・カーンは、東欧系のユダヤ人である。彼の先祖は、20世紀初頭に着の身着のままで東欧からフランスへやって来た。東欧系ユダヤ人は、フランスでも差別されていたらしい。彼は少年時代、自衛のためにボクシングを覚え、けんかのやり方を覚えたと、自身の随筆に書いている。また、フィリップ・カーンの母親は強制収容所に収容されて生き残った数少ない人の1人である。フィリップ・カーンがフランス人の子どもとけんかして鼻を折られて家に帰り、母親に文句をいうと、彼女はこう返事をしたという。「何世紀もの間、わたしたちは不寛容の犠牲でした……」 |
フィリップ・カーンはフランスのパリで東欧系ユダヤ人の家庭に生まれた。フランスの大学で数学の博士号を取得し、スイスのチューリッヒのニクラス・ビルトの下でパスカル言語を学んだ。
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1982年、身ひとつで米国にやってきたフィリップ・カーンはサンタ・クルツでターボパスカルを完成させた。このターボパスカルという言語コンパイラの1つでソフトウェア業界に入り、10年たたぬ間に、ボーランドをマイクロソフトやロータスと並ぶ巨大ソフトウェア会社にした。
マイクロソフトBASIC以来、言語製品メーカーであることを看板にしているマイクロソフトも、言語製品ではたびたびボーランドに苦杯をなめさせられた。ボーランドのターボパスカルがあまりに評判なので、ある時期マイクロソフトもクイックパスカルという製品を出した。業界紙に書かれてしまったので仕方なく出したという説もある。
しかし、マイクロソフトのクイックパスカルは、到底ボーランドのターボパスカルの敵ではなく、いつの間にかマイクロソフトの言語製品の系列から消滅している。以後マイクロソフトが再びボーランドの牙城であるパスカルへ踏み込むことはなかった。
パスカルに限らず、C言語コンパイラでもMS-DOSベースでは、その高速性からボーランドが優勢である。マイクロソフトが強いのは、ウィンドウズベースのコンパイラで、OS開発メーカーの強みを利用した部分である。
ボーランドのボーランドC++は、マイクロソフトの重いビジュアルC++に比べて断然高速である。またボーランドは、オブジェクト指向への取り組みも早かった。ウィンドウズ用のパスカルなどはよくできていて驚いた覚えがある。ウィンドウズ用パスカルを使ってウィンドウズのプログラムを書いて、初めてオブジェクト指向の何たるかを理解したこともある。
しかし、マイクロソフトは何といってもウィンドウズを掌握しており、ウィンドウズの機能に精通している。オブジェクト指向のライブラリを利用するとなると、ボーランドを選ぶか、マイクロソフトを選ぶか、なかなか難しい問題である。
よくいえば野性的でたくましいが、悪くいえば多少ヤクザっぽい容貌を持つフィリップ・カーンは「ストリートファイター」というあだ名を持っている。身長6フィート3インチ、体重225ポンドという巨漢である。何度か会ったこともあるが、あだ名のとおりだと思う。文字どおり街頭で荒っぽく闘う男である。ただし優しく見える一面もある。
フィリップ・カーンは、自ら「バーバリアン(野蛮人)」と豪語してはばからない。やさ男風なビル・ゲイツとは対照的な容貌のフィリップ・カーンは、そのあだ名に違わず非常に戦闘的なビジネスをやってのける。ボーランドの言語製品は、マイクロソフトの言語製品よりも好評である。高速でプロ受けする。言語製品に限らず、ボーランドの製品は一般的に評価が高い。だが、どんなに評価が高く優秀であっても、あまりに高価では誰もが購入するというわけにはいかない。ボーランド製品のもう1つの特徴は安いということだ。
1984年、ボーランドは、サイドキックという個人情報管理ソフトを売り出したとき、思い切った低価格を付けた。フィリップ・カーンは、高い価格で製品を売るほかのソフトウェアハウスを「泥棒貴族」と呼んではばからなかった。
サイドキックで低価格戦争のノウハウをつかんだボーランドは、スプレッドシート(表計算)市場とデータベース市場に狙いを定めた。ボーランドは、スプレッドシートのクアトロプロと、データベースのパラドックスによって競争相手に立ち向かった。これらは、製品としても優れていたことは間違いないが、ボーランドの主たる戦術は徹底した安売り攻勢だった。ここで採用された戦術は「コンペティティブアップグレード」と呼ばれる有名なものである。
例えば、ロータス1-2-3のユーザーが、ボーランドのパラドックスに乗り換えるなら、99ドルで結構ですというものである。フィリップ・カーンが「ストリートファイター」と呼ばれるのは、このころの「コンペティティブアップグレード」戦術の猛烈さによる。
結局、ボーランドに追い詰められて屈服したのは、dBASEで有名なデータベースの老舗アシュトン・テイトだった。1991年、ボーランドはアシュトン・テイトを合併吸収し、一挙に4億5000万ドル市場といわれるデータベース市場の65%を支配することになった。これは実に意外な合併吸収劇で驚いた。これによりボーランドは、データベース市場では見かけ上、向かうところ敵なしとなったのである。
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
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