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IT業界の冒険者たち

第37回 こわもてのストリートファイター

脇英世
2009/7/10

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 ボーランドはこの合併吸収の結果、パラドックス、dBASE、クアトロプロ、オブジェクトビジョン、インターベースなどの多様な製品を抱えることになった。当然多様な製品系列の統合が必要になり、インターベースという製品を中心にデータベース製品の統合が進められることになった。 ボーランドは、ボーランドC++を使って、すべてのデータベース製品をオブジェクト指向の見地から書き直したといわれている。これはなかなか大変な作業だったらしい。

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 1992年11月、マイクロソフトは、意表を突いてボーランドの圧倒的優勢にあったデータベース市場にマイクロソフト アクセスを投入した。当時、データベースの65%は、ボーランドに支配されており、マイクロソフトは、ほとんどシェアを持っていなかった。マイクロソフト アクセスは初期のバグはあったが、好評のうちに迎えられた。そしてシェアも次第に伸びた。

 ボーランドにとって、アシュトン・テイトの買収と人員整理、組織の再統合、さらに大掛かりなデータベース製品の再編成は、なかなか大変なことだったようである。ボーランドはデータベース製品を1社でたくさん持ちすぎた。そこへマイクロソフトの奇襲を受けた。その結果とはいわないが、ボーランドはクアトロプロをノベルに売り渡した。どういう戦略的判断があったのか、一度詳しく調べてみたいと思っている。

 1991年のコムデックスのときには、フィリップ・カーン率いるボーランドは、会場のラスベガス・コンベンションセンターの前に白い巨大なリムジンをずらりと並べて、小さく「ボーランド」というカードを運転台に置いた。キザである。あらゆる点でフィリップ・カーンはあくまでキザだ。大向こう受けする。

 ボーランドの宣伝用VTRを何本か見ればすぐ分かることだが、フィリップ・カーンは、飛行機も自動車もオートバイも好きだし、ジャズも好きだ。事あるごとにサックスを吹いている。うまいのかへたなのかよく分からない。いつも騒がしい会場で聞いているので、うまいもへたも聞き分けられない。フィリップ・カーンは、趣味の豊かなキザ男という意味でプレイボーイである。

 フィリップ・カーンは、パソコン業界の現役では、ビル・ゲイツに次いで有名な固有名詞である。ビル・ゲイツに関する特集では必ずフィリップ・カーンが出てきて、マイクロソフトに対してこわもてのコメントをする。巨大なマイクロソフトを少しも恐れない。いいたいことをいう。

 ボーランドの弱点は、専門家向けの製品が多く、大衆市場向けの製品をあまり持たないことだ。特に言語製品は、日本人のように言語製品の好きな国民の場合はさておいて、米国ではそれほどの収益を期待できない。

 そのためにより広く、大衆的な市場であるデータベース市場へ進出したのだろうが、肥大化があまりに急速すぎた。軽快さを誇るボーランドが、あらゆる意味で鈍重になってしまった。

 またOSを持っていないということもつらい。オブジェクト指向のライブラリを読んでいると、実際上、OSの書き直しに当たることをやっている。ボーランドはこれだけの製品を持っていながらOSを持てなかったのは気の毒だと思うこともある。ウィンドウズの改訂に引きずり回されることにもなった。ボーランドはパソコン業界参入の時期がやはり少し遅かったのである。

 1994年、ボーランドの業績は次第に悪化していき、フィリップ・カーンの浪費と道楽が過ぎるといわれた。

 その年、フィリップ・カーンと奥さんのソニア・リーはスターフィッシュ・ソフトウェアを設立した。フィリップ・カーンの無線通信のビジョンを追求し実現するための会社である。スターフィッシュ・ソフトウェアはTrueSync技術に的を絞っている。

 1995年1月11日、フィリップ・カーンはボーランドの社長兼CEOを退任すると発表した。100億円以上のお金を使ってボーランドの新社屋を建てたのが問題になり、追放されたのである。彼は追放されるとき、ダッシュボートとサイドキックを持ち出させてくれと頼んだ。この2つがスターフィッシュ・ソフトウェアの最初の製品になった。フィリップ・カーンのボーランドの取締役退任は1996年11月7日である。

 1998年9月、スターフィッシュ・ソフトウェアはモトローラに買収されたが、自律的な子会社という立場にとどまった。フィリップ・カーンはモトローラの子会社の社長になったのである。モトローラは、スターフィッシュ・ソフトウェアのTrueSync技術と同社のセルラーフォンを組み合わせた製品を登場させようという狙いである。

 すべては変わるものである。1998年4月29日、ボーランドはインプライズと社名変更することを発表し、1998年7月5日株主総会の承認を経て正式に発効した(*2)。

*2)インプライズの社名は2000年11月14日、ボーランド・ソフトウェア・コーポレーションに戻すことが発表された。正式発効は2001年になってからであるが、即日ボーランドの名前が使われ始めた。厳密には、元はボーランド・インターナショナルであったから、完全に同じではない。

補足

 2001年4月現在、フィリップ・カーンの名前はスターフィッシュの経営陣の中にはない。1995年にフィリップ・カーンはスターフィッシュのほかにオープングリッド社をつくった。このオープングリッド社はまだ存続している。さらにフィリップ・カーンはライトサーフ社をつくっている。これは彼が大好きなサーフィンにちなんだものという。無線を使ったデジタル写真の会社である。この会社も存続している。

 ただフィリップ・カーンの興味は、数億円をかけて建造したヨットのペガサス号の方に移っている。ペガサス号のホームページの方は本業に比べて、ずっと充実している。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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