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IT業界の冒険者たち

第40回 帝国と戦うレイア姫

脇英世
2009/7/15

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

パトリシア・シュルツ(Patricia C. Sueltz)――
元IBM Javaの責任者

 パトリシア・シュルツについては何も知らなかった。IBMでJavaの総括責任者をしている大物だからインタビューしてみないかといわれても特に興味を引かれなかった。世の中に大物や偉い人はいくらでもいるからだ。しかし、IBMソフトウェア・アジア・パシフィックのエグゼクティブコングレスで、彼女の講演を聞くと考えがまったく違ってしまい、ぜひインタビューさせてほしいと自分の方から頼みに行った。ものすごくエネルギッシュで魅力的な講演だったからだ。

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 パトリシア・シュルツは、背もそんなに高くないし少し猫背気味だが、機関銃射撃のような言葉の奔流とともに放射するエネルギーがすごい。例えば突然「みんな立ってほしい」といわれて立たされる。何だろうと思っていると「Javaのために一緒にやろうではないか」とこぶしを突き出すのである。すごいアジテーターだ。講演というよりアジ演説や扇動に近い。IBMのジャンヌ・ダルクって感じかなと思った。

 パトリシア・シュルツは常に目線を左右に配り、観客へのサービスを忘れない。今日会った人、知っている人を話の随所で引き合いに出す。「ああ、今朝インタビューした香港の記者の彼います?」という調子である。これではとても眠っていられない。彼女の講演にはエネルギーの充溢を感じる。そういう感想をよく聞く。

 わたしが聞いたパトリシアの講演は午後の部のものだった。うかつなことに、朝から回しっぱなしだったテープレコーダーの電池が切れてしまい録音できなかった。だが事前に準備されたスクリプト(講演台本)があってほっとした。それをもらってホテルの部屋で何度か読み返してみると、なんだか変だ。頭に残っている言葉と違うのだ。

 パトリシア・シュルツは「今日は珍しくスクリプトどおりに話したら、あれはいけない、いつものようにスクリプトなしでやるべきだったといわれた。どうやっても文句というものは出るものだ」といっていた。ところがスクリプトを何回読み返してもわたしの記憶と違う。しばらく考えて分かったのは、確かにパトリシアは一部分スクリプトどおりにしゃべったかもしれないが、全体としてはスクリプトなど、まるで無視して自由奔放にしゃべっていたのである。

 パトリシア・シュルツは激しく動き回る。エグゼクティブコングレスが開かれたマウイ島に来たときも、寝不足をものともせず、いきなりエンジンの2つ付いたヘリコプターの調達を要求し、とても歩いていけないような険しい場所をヘリコプターで低空飛行させ見て回ったという。飛行機好きの筆者は、エンジンが2つ付いたヘリコプターって何だろうと疑問に思った。予備のエンジンがあった方が不安定だろう。ローターが2つあるということだろうか。よく分からないが、まあそんなものもあるんだろう。

 ヘリコプターでの激しい移動と同じく、彼女の人生も激しい移動の連続だ。パトリシア・シュルツは日本の大磯で生まれた。母は日本人である。父は米空軍の軍人であったので1歳のときから米国で暮らした。パトリシア・シュルツはロサンゼルスのオクシデンタル大学を卒業した。学士号は政治科学とドイツ語で取得した。ロックフェラー・フェローであり、成績は優秀であったらしい。さらにクレアモントの大学院で神学と倫理学を修めた。

 「(こういう学歴なのに)どうしてわたしはいまこんな仕事をしているんでしょうね」と彼女は語るが、技術の勘所はよく押さえている。意地の悪い質問にも動じない。たちどころに完ぺきに防御する。勘がいいのだろう。

 大学院修了後、パトリシア・シュルツはAT&Tに入社した。AT&Tの現業部門にいたらしく、本当にヘルメットをかぶって電信柱に登ったこともあると、真顔で語る。ジョークなのかまじめなのか分からない。

 AT&Tの長距離回線部門にいて東海岸に出張した彼女は、IBMにいながらスタンフォード大学院に通ってMBA(経営学修士)を取得しようとしていた将来の夫と知り合う。そして、IBMに入社するように勧められた。

 IBMではインフォメーション技術部門に配属された。そこでアプリケーション開発に従事した。4年後、ラーレイのコミュニケーション・プログラミング部門に移りSNA(システムズ・ネットワーク・アーキテクチャ)などを担当した。その後コーポレート・プログラミング部門に移り、VisualAgeなど、いくつかの製品を担当した。米国内だけでなく英国のIBMハーズレー研究所のCICS(顧客情報管理システム)やMQ(メッセージ・キューイング)シリーズも担当した。よくもこんなに難しい製品群をこなせるものだ。

 こうした活躍が認められてか、パトリシア・シュルツはテクニカルアシスタントになった。飛躍的な出世である。

 さらにIBMグローバルネットワークのプラットフォームアーキテクチャとビジネス開発担当副社長になった。この仕事はネットワークセントリックアプリケーションを支えるアーキテクチャを定義するものであった。

 1995年12月、インターネット部門担当になった。このときパトリシア・シュルツは、ジェネラルマネージャのアービング・ブラドフスキー・バーガーにレポートしていた。

 アービング・ブラドフスキー・バーガーはシカゴ大学大学院修了で、物理学博士の学位を持っている。それにもかかわらず、研究所でなく経営のトップにいる変わり種だ。キューバで、東欧系とユダヤ人の両親の間に生まれた。生家は雑貨店であった。カストロの革命が起きて米国に亡命し、シカゴに移り住んだ。

 ルー・ガースナー会長は彼をスーパーコンピューティング部門に配置し、さらにマッシブパラレルコンピュータ部門に配置し、さらにインターネット部門に配置した。製品別でない部門設置は異例である。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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