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IT業界の冒険者たち

第47回 ネットバブルの仕掛け人

脇英世
2009/7/28

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

 1994年6月、ジョン・ドーアのKPCBはジム・クラーク率いるネットスケープに500万ドルを投資。ネットスケープの株の15%を購入したことになるが、この投資は華々しい成功を収めた。まだ事業の目論見書も売り上げも利益もないネットスケープ社のIPO(株式公開)に成功し、これによりネットバブルが始まることになる。さらに1996年6月、ジム・クラークは、これからはインターネットを利用した医療情報システムの時代だと主張し、医療情報システムを扱うヘルセオン社を設立し、自身が同社の会長に納まった。もちろん、KPCBはヘルセオンにも投資した。1999年2月にヘルセオンの株式は公開された。ヘルセオンの株は人気を呼び、株価はたちまち8ドルから33ドルまで値を上げた。ジム・クラークはヘルセオンの株式を1億1170万株、シェアにして16.5%を保有していたので、理論的には4億ドル相当の株式を手にした。ヘルセオンの株式公開は大成功であったが、同社に出資していたジョン・ドーアのKPCBも、無論大成功を収めた。

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 ジョン・ドーアのKPCBは、AOLにも出資していた。AOLは1998年11月、ネットスケープを42億ドルで買収した。このときの契約にKPCBの系列であるサンが入ってきた。外から見ればAOL、サン、ネットスケープなどによるKPCBのマイクロソフト包囲網が形成された。ネットスケープの株式はAOLの株式に交換されることになり、ネットスケープのジム・クラークは6億ドルを、AOLのジム・バークスデールは1億9000万ドルを手中にした。このマイクロソフト包囲網が成功したとは必ずしもいえない。むしろ、このときのネットスケープ買収はネットスケープというスタープレーヤーを退場させたことになり、業界としては、あまり意味がなかったように思う。

 ジョン・ドーアのKPCBはアマゾン・ドット・コムにも投資している。同社はジェフ・ベゾスによって設立された。1986年、ジェフ・ベゾスはプリンストン大学の電気工学科およびコンピュータ科学科を卒業し、金融テレコミュニケーション企業であるファイテルに入社した。1988年、投資銀行のバンカーズ・トラスト・カンパニーに転職し、1990年にはDE・ショー社に副社長として入社、さらに1992年には最年少の上級副社長となった。

 インターネットの急激な躍進ぶりを目の当たりにしたジェフ・べゾスは、インターネットにこそチャンスがあると考えた。1994年、いろいろ考えた末、インターネット上で本を売るというアイデアを思い付く。1994年夏、ジェフ・ベゾスと妻のマッケンジーはニューヨークを発ち、勇躍、西海岸のシアトルを目指した。マッケンジーが車のハンドルを握り、ジェフ・ベゾスはかたわらでラップトップコンピュータをたたいて新会社の目論見書を作り、携帯電話でベンチャー資本に電話をかけ資金の調達を図ったという話は、ジェフ・ベゾス伝説の例にもれずうそだったらしい。

 最初の社名カダブラは分かりにくいといわれて、1995年2月、社名をアマゾン・ドット・コムと変えた。資金が必要になったジェフ・ベゾスはKPCBのジョン・ドーアに接触し、KPCBがアマゾン・ドット・コムの株式の15%を800万ドルで引き受けた。アマゾン・ドット・コムは事業として利益を上げるには至っていないが、IPOとしては成功で、ジョン・ドーアのKPCBは莫大な利益を上げたといわれている。

 さらにジョン・ドーアのKPCBは@Home(アット・ホーム)社にも投資している。同社は電話回線に代えて、CATVの回線にケーブルモデムを使い、ブロードバンド通信を実現しようとした。

 実際の担当はKPCBのビノッド・コースラになるらしいが、ジョン・ドーアも大きく関与している。@Homeという名前自体もジョン・ドーアが考えたくらいである。

 映画『市民ケーン』のモデルとして有名なメディア王ウィリアム・R・ハーストの孫であるウィリアム・R・ハーストIII世が1995年、KPCBに入社してきて、1995年8月から1996年5月まで@Home社の最高経営責任者として送り込まれた。祖父にならった手腕を期待されてのことである。しかし、不幸なことにその手腕は実力の世界では通用せず、すぐに退任させられた。

 1999年1月、@Homeは67億ドルで業界2位のポータルサービス企業エキサイトを買収した。@Homeにはコンテンツが不足していたので、エキサイトの力で埋めようとした。この買収劇もジョン・ドーアのKPCBには良かったが、@Homeとエキサイトにとって本当に良かったのか、と疑問視される部分でもある。

 ネットバブルは崩壊したといわれ、ベンチャー資本は新しい局面を迎えようとしている。ジョン・ドーアは新しい局面にどのように対応しようとしているのだろうか。

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