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IT業界の冒険者たち

第47回 ネットバブルの仕掛け人

脇英世
2009/7/28

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

ジョン・ドーア(L. John Doerr)――
ベンチャーキャピタリスト

 ジョン・ドーアはシリコンバレーでいま最も有名なベンチャー資本「KPCB」のスタープレーヤーだ。彼はKPCBをインターネット革命の揺りかごにした。ネットバブルの仕掛人と見ることもできる。

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 ジョン・ドーアは1951年、ミズーリ州セントルイスに5人兄弟の1人として生まれた。ライス大学電気工学科を卒業後、ハーバード大学のビジネススクールでMBA(経営管理学修士号)を取得。理系の学部を卒業しMBAを取る、という理想的な学歴パターンである。1974年、ジョン・ドーアはインテルに入社した。同社では、エンジニアリング、マーケティング、マネジメントなど、いろいろな職種を経験し、1980年にベンチャー資本のKPCBに入社した。

 KPCBは正式名称をパートナーの名前を合わせてクライナー・パーキンス・コーフィールド&バイヤーズという。これではあまりに長い名前なので、頭文字を集めてKPCBと呼ばれている。KPCBは1972年に設立されたが、その当時は、KPCBではなくクライナー&パーキンスという社名だった。創業者の1人ジーン・クライナーは、トランジスタの発明者の1人、ウィリアム・ショックレーのいう「裏切り者の8人」に入っていた半導体専攻の秀才である。「裏切り者の8人」とは、ウィリアム・ショックレーのショックレー研究所を辞め、フェアチャイルド・セミコンダクターという会社を設立した8人のことである。ジーン・クライナーはフェアチャイルドに6年間いた後、エデックスを経て独立した。一方、もう1人の創業者、トム・パーキンスはMIT(マサチューセッツ工科大学)を卒業後、ハーバード大学でMBAを取っている。1957年、パーキンスはHPに入社しすぐに退社してしまうが、6年ほどして再びHPに戻り、レーザー関係のベンチャー事業に成功して、再び退社している。

 1972年、クライナーとパーキンスは意気投合し、ベンチャー資本のクライナー&パーキンスを旗揚げする。同社は初期にタンデム社とバイオ関係のジェネンテック社へ投資して成功した。1978年には、新たに2人のパートナーを加え、社名をKPCBと改名した。これに1980年、ジョン・ドーアが加わったが、会社の名前はKPCBDにはならず、そのままKPCBにとどまった。表面的には文句はいわないが、ジョン・ドーアは不満だったらしい。

 1982年2月に設立されたサン・マイクロシステムズ(以下サン)は、ワークステーションの大量生産に乗り出すための資金を必要としていた。必要となる450万ドルは、KPCBとTVI(テクノロジー・ベンチャー・インベスターズ)が出した。この際、KPCBでサンに投資すべきと主張したのはジョン・ドーアであった。ジョン・ドーアはサンの将来性を見抜く目を持っていた。資金を出したKPCBは経営に口を出し、ジョン・ドーア自身も役員として乗り込んだ。サンの初代会長兼CEOはビノッド・コースラであったが、1984年秋には辞職し、現在、KPCBのパートナーとなっている。いろいろな意味でサンとKPCBの仲は深い。

 サンに引き続いてジョン・ドーアは、1980年代にコンパック、シマンテック、クァンタム、サイプレス、ロータスなど、現在のコンピュータ業界では名だたる企業に出資して次々に成功する。やがて、ジョン・ドーアの名前は伝説的になり、1990年代にはKPCBのジョン・ドーアから、ジョン・ドーアのKPCBといわれるようになった。

 しかし、人生良いときばかりではない。たまには失敗もある。1987年、ジョン・ドーアはミッチ・ケイパーとジェリー・カプランのGO(ゴー)に出資した。ジェリー・カプランにほれ込んでのことである。

 ジェリー・カプランは1952年に生まれ、シカゴ大学の歴史哲学科を卒業後、1979年にペンシルベニア大学大学院でコンピュータおよび情報科学で博士号を取得した。1979年からは、スタンフォード大学の研究員を務めた。その後、1981年に同大学の教授グループが作ったテクナレッジの共同創設者の1人として、事業開発担当副社長を務めた。

 1984年、ジェリー・カプランはミッチ・ケイパーに出会う。兄弟ではないかといわれるほど見た目もよく似た2人は、たちまち意気投合した。1985年からジェリー・カプランはロータスに主任技術者として勤めたが、同社にももちろんKPCBが出資していた。1987年2月、ジェリー・カプランはミッチ・ケイパーとともにボストン郊外からサンフランシスコへ飛ぶ自家用ジェット機に乗った。この飛行機の中で話し合われたのが手書き入力のできるペンコンピュータの構想である。そして、この構想を事業化するため、GOという会社が誕生した。GOにはKPCB、ミッチ・ケイパー、ビノッド・コースラほかが合わせて150万ドル出資し、GOの株式の33%を取得した。最終的にジョン・ドーアのKPCBがGOに投資した総額は300万ドルにも及んだという。GOは手書き入力をめぐって、マイクロソフトと激しく競ったが結局開発は成功せず、6年後、GOとそこから分かれたEOは消滅してしまう。ジョン・ドーアの痛い失敗である。ただKPCBは、EOのGO吸収後、AT&TにEOへの4000万ドルの出資を約束させ、KPCBは保有していたEO株の半分をAT&Tに売却したため、金銭的には損にならず逆に700万ドルをもうけたという。ジェリー・カプランは、その後すぐに、オンセールというインターネット上のオークション会社を立ち上げて成功した。KPCBも数千万ドルをもうけ、GOでの復しゅう戦に勝利する。

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