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IT業界の冒険者たち

第49回 ヤフーの最高経営責任者

脇英世
2009/7/30

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 1996年4月、ヤフーは株式を公開した。これに先立つ1995年12月、ソフトバンクは100%出資の米国持ち株会社であるソフトバンク・ホールディングスを通じてヤフーに200万ドルを出資した。これによりソフトバンクはヤフーの株式の5%を獲得した。さらに1996年4月、ソフトバンクはヤフーに1億600万ドル程度を出資し、投資総額は1億800万ドルとなった。これにより前回のシェアに加えてヤフー株37.02%を取得した。このようにして、ソフトバンクがヤフーの筆頭株主になったのである。

 13ドルで公開されたヤフーの株式は、ひたすら上昇の道を歩む。ヤフーの株価収益率も、1999年に1900倍という異常な水準にまで上昇した。普通なら株価収益率が20倍でも十分高いのである。1900倍という数字になったのは、株価が高かったというより、収益がごくわずかであったことに起因しているといえる。2000年7月の時点では、ヤフーの売り上げが7億ドル程度、粗利益が1億2000万ドルまで上昇したせいもあり、株価収益率は400倍程度に低下している。それでもすごい数字であることに変わりない。

 株価が高くなったおかげで、ヤフーは自社株との株式交換で、ジオシティーズ社を39億ドル、ブロードキャスト・ドット・コム社を57億ドル相当で買収できた。1998年7月にもソフトバンクはヤフーの第三者割当増資の全額を引き受けた。これによってヤフーは、ジオシティーズ社の買収とストックオプションを行使して29%に低下していた株式のシェアを、31%に回復させている。株価と発行株式数を掛けたものを、時価総額もしくは市場価値というが、ヤフーの時価総額は700億ドル、日本円に直すと7兆円から8兆円という途方もない金額になる。

 現在、ヤフーの従業員数は約500人である。ヤフーがこれほどまでに成長できたのは、表向きのスターであるジェリー・ヤンとデビッド・ファイロの活躍もあるが、裏方に徹して地味な企業運営に専心してきたティム・クーグルとジェフリー・マレットの努力も大きかったといわれている。

 ヤフーの華々しい快進撃を見ると意外に思えるが、ティム・クーグルの生活はつつましく、かなり長い間、簡素なアパートに1人暮らしをしていたという。サラトガに家を買ったが、それもシリコンバレーの水準からすれば、つつましやかなものらしい。個人資産はヤフーの株式なので評価が難しいが数百億円のオーダーである。離婚しており、ギターをつまびく孤独な生活を送っているといううわさだが、これも業界にありがちな作られた伝説なのかもしれない。

 ティム・クーグルは2001年3月、ヤフーのCEOを辞任した。燃え尽きたのだろう。

 ティム・クーグルの後を引き継いだのは、テリー・セメルである。

 セメルは1964年ロング・アイランド大学を卒業した。専門は会計・財政学である。1965年に映画の配給部門のセールス見習いとしてワーナー・ブラザースに入社した。1972年に転職してCBSの劇場マーケティングと国内配給部門の社長に就任、1973年には米ウォルト・ディズニーの劇場マーケティング部門で社長となった。

 セメルはディズニーに勤務した後、ワーナー・ブラザースに復帰し、1978年に上級副社長兼最高執行責任者に就任した。1980年には副会長兼COOに任命され、1984年には共同会長および共同CEOに昇進した。『マトリックス』『バットマン』『リーサル・ウェポン』などの大ヒット作を送り出したことは有名である。

 1999年ワーナー・ブラザースを退社し、インターネット投資・開発会社のウィンザー・メディアを設立した。2001年、ジェリー・ヤンに請われて、ヤフーの最高経営責任者に就任することになった。

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