自分戦略研究所 | 自分戦略研究室 | キャリア実現研究室 | スキル創造研究室 | コミュニティ活動支援室 | エンジニアライフ | ITトレメ | 転職サーチ | 派遣Plus |

IT業界の冒険者たち

第51回 偶然の帝国eBayの創設者

脇英世
2009/8/5

前のページ1 2

 さて、メグ・ウィットマンが社長兼CEOに就任すると、まずは1998年9月24日にeBayを上場させた。上場価格は18ドルだったが、その日の終値は47ドルと260%も上昇した。その後、eBayの株価は25倍にも膨れ上がり、eBayの市場価値は4兆〜5兆円にも達したことがある。ピエール・オミディアは全株式のうち30%を保有していたので、資産は1兆2000億円程度と評価されたこともある。

 eBayのビジネス・モデルは、想像されがちなPtoP(個人対個人)の形態ではなかった。実はeBayでは登録ユーザーのわずか20%の売り手が収益の80%を生み出していた。意外なことに小規模事業者たちが個人を相手にする形態が主力だったのである。

 eBayが成功すると、ライバルが次々に参入してきた。このためeBayは手数料の値上げができなくなった。この場合、売り上げを増やす手段は2つである。取引量の増加と高額商品を手掛けることだ。

 ウィットマンは、ローカル市場の強化とともに、高額商品市場に大胆に挑戦した。まずサンフランシスコで134年の歴史を誇るオークション・ハウスのB&B(バターフィールド&バターフィールド)を2億6000万ドルで買収した。B&Bの平均競売単価は1400ドルである。これはeBayの平均競売単価である47ドルをはるかに上回る。次にウィットマンは自動車の競売をするクルーズ・インターナショナルを買収した。自動車も高額商品である。

 またウィットマンは大胆に管理経費を削減した。eBayはアバネットとエクソダスへサーバの管理をアウトソーシングに出した。またサプライヤーとの提携を行い、少人数で巨額の取引を可能にした。

 また、eBayにはうさんくさいところもあり、過去、AK47などの鉄砲、ポルノ、ドラッグが公然と扱われていた。ウィットマンは、これをeBay本体から切り離した。

 eBayの成功に刺激された巨人アマゾンでもeBayを倒せなかった。どうしてだろうか。これについてはデビッド・ブネルとリチャード・レッケの『eBayオークション戦略―究極のインターネット・ビジネスモデル』(ダイヤモンド社刊)が分かりやすい回答を与えている。eBayは場所の提供だけで取引はユーザーに任せた。eBayはアマゾンのように自分で余剰品、見切り品、再生品を販売しようなどと考えなかった。つまり在庫をまったく持たなかったのである。これが強さの秘密であった。アマゾンとはまったく違うビジネス・モデルであったのである。

 ウィットマンは外見が多少きつい印象を与えるので、パロディの格好の餌になっている。よく戯画の対象になっているのを見掛ける。ともあれ、eBayは女帝ウィットマンの強力な指導で成功を続け、BtoC(企業対消費者取引)やBtoB(企業間取引)への移行を目指している。

 メグ・ウィットマンが着任すると、ピエール・オミディアは生まれ故郷のパリに戻った。フランス進出を計画中だといわれている。まだ33歳にして、3年間で1兆2000億円もの資産を手に入れたため、その使い道に困ったらしい。オミディア財団が設立され、まず1億ドルの資金で出発した。株価は上下するもので、一時1兆2000億円といわれたピエール・オミディアの個人資産は数千億円にまで減少した。洋服は4着持っているだけで、それもeBayのオークションで買ったものという伝説がある一方、BMWの最新モデルを誰よりも早く入手したといった報道もある。

前のページ1 2

» @IT自分戦略研究所 トップページへ

自分戦略研究所、フォーラム化のお知らせ

@IT自分戦略研究所は2014年2月、@ITのフォーラムになりました。

現在ご覧いただいている記事は、既掲載記事をアーカイブ化したものです。新着記事は、 新しくなったトップページよりご覧ください。

これからも、@IT自分戦略研究所をよろしくお願いいたします。