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IT業界の冒険者たち

第51回 偶然の帝国eBayの創設者

脇英世
2009/8/5

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

ピエール・オミディア(Pierre Omidyar)――
eBay創業者

 インターネットバブルの崩壊が取りざたされ、次々にベンチャー企業が消えていく。これらの多くは採算性が悪く、まったくもうからないので、人気はあっても企業として成立しない。そんな中でeBayは最初から利益を出して、売り上げも順調に伸ばしてきた。eBayの1996年の売り上げは3205万ドル、1997年は4137万ドル、1998年は8612万ドル、1999年は2億2472万ドル、2000年は4億3142万ドル、2001年前半は3億3500万ドルであった。

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 eBayには1000万人以上の登録ユーザー、400万件以上の競売物件が存在しており、150億ドル(約1兆5000億円強)の市場価値がある。このことから、Kマート、JCペニー、ニーマン・マーカスなどの大規模小売業にとって脅威にさえなりつつある。このeBayを創立した人物が、ピエール・オミディアである。

 ピエール・オミディアは、1967年にフランスのパリで生まれた。オミディアという名前から分かるように、イラン系である。どうしてオミディア一家がパリに住んでいたのかは、はっきりしていない。ともかく、ピエール・オミディアはパリで生まれ育った。

 1974年、ピエール・オミディア6歳のとき、一家は米国のメリーランド州ベセスダに移住した。父親は、メリーランド州のジョンズホプキンス大学にあるメディカルセンターに勤務していたという。移住許可が出たのは、父親が医者であったことも有利に作用しているのだろう。2歳のときに両親は離婚しているはずだが、それでも両親は近くに住んでいたようである。ピエール・オミディアは、子どものころからコンピュータに親しんでいた。学校の図書館に置く索引カードを印刷するプログラムを書くため、時給6ドルで雇われたこともあるらしい。

 1998年、ピエール・オミディアはマサチューセッツ州のタフツ大学コンピュータ科学科を卒業した。そのころ、ピエール・オミディアはハワイから生化学の学位を取得するためにやってきたパメラ・ウェズレイと出会った。その年の夏、2人は連れ立って西海岸のサンフランシスコ湾岸地域に移った。

 1992年、ピエール・オミディアは3人の友人と共同で、eコマースを専門とするインク・デベロップメント社を設立した。これが後にeShop社になったが、1994年にマイクロソフトへ売却された。ピエール・オミディアはアップルの子会社クラリスに勤め、コンシューマ用のアプリケーション「マック・ドロー」の開発者になっている。マイクロソフトがインク社を買収したため、クラリス社を出て、ジェネラル・マジックに勤めた。

 ピエール・オミディアのフィアンセとなったパメラ・ウェズレイは、PEZディスペンサーを集める趣味を持っていた。PEZディスペンサーとは、キャンディ菓子の容器である。PEZには人形の首が付いたものなどいろいろなディスペンサーがあるため、興味のある人にとってコレクションの対象になる。写真を見れば「ああ、あれか」と納得されるだろう。ところが、サンフランシスコ湾岸地域ではPEZディスペンサーを交換してくれる人を見つけるのは難しい、とパメラがこぼした。これが普通eBayの起源とされているが、最近ピエール・オミディアは伝説にすぎないといっている。

 そこでピエール・オミディアはプログラムコードを書いて、1995年9月のレイバーデイにAuction Web(オークションウェブ)を立ち上げた。マーケティングについては特に何も行わず、NCSA(スーパーコンピューティングアプリケーションの全米センター)のサイトに、Auction Webという名前を登録しただけだったという。つまり、ユーザーへの他力本願であったのである。普通はこれだけでは成功しないものだが、Auction Webの場合はうまくいった。時代がインターネット上での競売の場を求めていたからだろう。ユーザーの方からサイトへやってきてくれたのだった。

 Auction Webの競売用サイトは、ピエール・オミディア個人のホームページに作られた。URLはwww.eBay.comであった。月30ドルでISP(インターネットサービスプロバイダ)から借りていたという。Auction Webは当初無料であったが、トラフィックが混雑して運営するのに月250ドルかかるようになったため、有料化されることとなった。とはいえ、最初はノミネート料に10セント、売れた場合に1%とまことにつましいものであった。それでも、初めの月には総計1000ドルが振り込まれたという。事業の最初から黒字であったという説もあるが、黒字転換は1996年3月になってからという説もある。しかし会社の収入は倍々ゲームで増えていき、事業の早期から黒字であった。Auction Webは、やがてeBayへと名前を変えた。それにしてもeBayは運が良い。アマゾン・ドット・コムにしてもCNETにしても、なかなか黒字転換できないからである。

 マイクロソフトを偶然の帝国という人がいるが、eBayこそ偶然の帝国といった感が強い。ともかく会社が成功したので、1996年5月に会社は法人化され、ピエール・オミディアはジェフ・スクロールを社長として雇った。ジェフ・スクロールはスタンフォード大学の経営学修士で、ナイトリッダーのeコマース部門で働いていた。

 会社が成功したといっても、働いているのはピエール・オミディアとジェフ・スクロールの2人だけだった。ピエール・オミディアのアパートをオフィスとしていたが、パメラ・ウェズレイから文句が出て、オフィスはジェフ・スクロールのアパートに移転したという。eBayが社員を雇うようになってから、サニーベールのインキュベーションセンターに移動した。非常に倹約な会社であった。現在はサンノゼのハミルトンアベニューに本社がある。

 僥倖(ぎょうこう)によるところも大きかったが、ピエール・オミディアは努力もした。料金体系の設定や、フィードバックフォーラム、メッセージボードの設置によってコミュニティ文化を作り出し、利用者にとって親しみやすいものにした。その結果、アマゾン・ドット・コムの月当たりの平均滞留時間が13分なのに対して、eBayでは1時間45分といわれるほどになった。

 1997年、eBayはベンチャー資本のベンチマークキャピタルのダン・レビーに電話して、資金として450万ドルを引き出した。引き換えにeBayの株式22%が引き渡されたという。これはeBayに資金が不足したというより、ライバル企業のオンセールとオークション・ユニバースに対抗するための経営上のアドバイスが欲しかったからだという。1997年7月、社名が正式にeBayになった。

 ベンチマークキャピタルの助言により、1998年3月にeBayは社長兼CEOとしてメグ・ウィットマンを雇う。メグは愛称で、正式にはマーガレットである。メグ・ウィットマンは1956年8月4日ニューヨーク州ロングアイランドのコールド・スプリング・ハーバーに生まれ育った。1977年にプリンストン大学経済学部を卒業した。初めは医学を志していたが、ひと夏、大学新聞でアルバイトをしたことがきっかけとなって、経済学に志望を変更したという。ウォールストリートジャーナルのような高級な経済新聞を読む、一風変わった女学生であったという。1979年、メグ・ウィットマンはハーバードビジネススクールでMBA(経営学修士号)を取得し、出世のパスポートを手に入れた。

 1979年から1981年の間、メグ・ウィットマンはシンシナティのP&G(プロクター・アンド・ギャンブル)社のブランド管理部門で働いた。1989年から1992年には、ウォルト・ディズニー社でディズニーのコンシューマ製品部門における上級副社長を務めている。続いて、1993年から1994年にストライド・ライト社へ移り、マンチキンという幼児用シューズの部門を設立し、同社のブランドと小売店舗の位置付けをやり直した。さらに、1995年から1997年の間、FTD(フローリスト・トランスワールド・デリバリ)の社長兼CEOを務めた。FTDとは難しそうな社名だが、花の宅配サービスである。そして1997年には、ハスブローの未就学部門におけるジェネラルマネージャになった。ハスブローは玩具やゲームを扱っている企業だ。

 このように多様な経験を持つので、eBayの社長兼CEOには最適と思われたのだが、移籍は簡単ではなかった。メグ・ウィットマンには夫も家族もいて、そう簡単に西海岸へ移ることはできなかったからである。夫はグリフィス・R・ハーシュというマサチューセッツ州の神経外科医であった。ところが1997年、西海岸のスタンフォード大学医学センターの神経外科部門に就職できたので、1998年3月メグ・ウィットマンもeBayに移籍することが可能になったのである。

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