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IT業界の冒険者たち

第56回 IMSAIとコンピュータランド創業者

脇英世
2009/8/12

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

ビル・ミラード(Bill Millard)――
IMSAI創業者

 映画『ウォーゲーム』をご覧になったことがあるだろうか。1983年にMGM/ユナイテッド・アーティストによって作られたSF映画である。わたしの母ですら面白いというのだから、きっと面白い映画に違いないと思う。この映画で活躍する古典的なホームコンピュータがIMSAI(イムサイ)のコンピュータである。計測器のジャンクのようなIMSAI 8080で、北米防空司令部に鎮座するW.O.P.R.という軍用コンピュータに挑戦するという設定が、同映画のミソである。

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 1983年当時、米国のCATVでこの映画を見たときに「あれっ、IMSAIって、とっくに倒産した会社ではなかったの?」と疑問に思ったものである。今回はこの謎に挑戦してみよう。

 1970年代にマイクロコンピュータに参入した会社は、ほとんどがカウンターカルチャーに入れ込んだ反体制派か、社会からドロップアウトしたヒッピーの若者たちによる会社であった。当時の若者たちは決まったように長髪にひげを蓄え、Tシャツに擦り切れたジーンズではだしという格好をしていた。一般的傾向としてマリファナを吸引し、自由な恋愛を楽しみ、仏教や禅の不可解な教えの中に人生の真実を追い求めていた。アップルのスティーブ・ジョブズをはじめ、オラクルのラリー・エリソン、ロータスのミッチ・ケイパーも皆そのような若者であった。スティーブ・ジョブズは禅について造詣が深く、悟りを求めて実際にインドを訪れている。ラリー・エリソンもしばしば禅について語ってきた。ミッチ・ケイパーの「ロータス」とは蓮(はす)のことを意味しており、仏教に関係がある。実は「法華経」とは「正しい教えの白蓮」という意味である。

 さて、IMSAIに話を戻すと、同社はそういったカウンターカルチャーかぶれのヒッピーとはまったく関係ない会社であった。同社の社員は、ヒッピーではなく、自らをセールスマンと信じていた。社員にはIBM出身者と軍隊経験者が多いのが特徴である。

 IMSAIの創業者であるビル・ミラードは、IBMでの勤務経験があり、サンフランシスコのオンラインデータベースを担当するマネージャであったという。

 1969年、ビル・ミラードは独立すると、システム・ダイナミクスという会社を創立した。IBM互換の通信機器を販売する会社であった。会社設立から3年後の1972年になると、システム・ダイナミクスは解散し、同年5月にIMSアソシエイツが創立された。IMSはInformation Management Serviceの略である。業務内容は、コンサルティングとエンジニアリングであった。以後3年間は、IMSアソシエイツで資本と経験の蓄積に努めることとなる。

 1974年、ビル・ミラードはニューメキシコのGMの自動車ディーラーから経理用システムを作るように勧められた。そこで、IMSAIマニュファクチャリング(通常IMSAIと略す)を創立することになる。IMSAIは、IMSアソシエイツの子会社であった。

 1975年1月、ニューメキシコのアルバカーキにあったMITS社のオルテアー8800が『ポピュラー・エレクトロニクス』誌のカバーストーリーを飾った。記念すべきマイクロコンピュータ誕生の瞬間である。MITSのオルテアーの反響は大きく、生産が注文にまったく追いつかない状況が続き、しかも不良品が多かった。特にメモリ基板の評判は散々だった。そこで、ビル・ミラードは、オルテアー8800を購入して、バラバラに分解して研究を行い、コピー作成の可能性について検討させた。1975年5月には早くもIMSAI 8080の先行広告が出ている状況であったが、準備するのに1975年6月から11月までかかり、実際の生産は1975年12月になって始まったらしい。1975年10月、IMSAIはハイパー・キューブの構想を発表して注目される。これは何台かのマイクロコンピュータを接続して処理するというもので、当時随分マスコミの注目を引いたが、どうも構想だけであったらしい。海軍からも注文がきたという。

 こうして登場するIMSAI 8080は、オルテアー8800のコピーで技術的には何の革新もなかった。製品としてきちんと作り込み、オルテアー8800よりも大容量の電源を搭載していたくらいである。しかし、IMSAI 8080の良いところは、ともかく動作するところにあった。もっとも、故障がなかったわけでなく、実際にはサポートもメンテナンスもひどいありさまだったが、それでもオリジナルのMITSオルテアー8800よりはまともな状況で、概して好評であった。

 ビル・ミラードは、マイクロコンピュータが人類の未来を切り開くなどという夢想を抱くことはなく、スモールビジネスのためのデスクトップツールでなければならない、と考えていた。コンピュータの理想のようなものにはまったく興味がなかったのである。その代わりとして、何に興味があったのかといえば、マーケットシェアを大きくすること、資本を大きくすること、会社を大きくすることだけであった。ビル・ミラードは、機械についてよりもマネーについて話し、目標や軌跡について話した。

 ここで、エド・ファーバーという人物が登場する。1957年にコーネル大学を卒業した後、海兵隊に入り、IBMに入ってセールスを担当した経歴を持つ人物だ。12年IBMに在籍した後の1969年にメモレックスへ入社し、さらにオムロンの子会社へと渡り歩いた。

 1975年、ビル・ミラードは、エド・ファーバーをIMSAIにスカウトした。注文が殺到したIMSAIの快進撃を見て、エド・ファーバーはコンピュータの販売方法に関する、あるアイデアを思い付いた。フランチャイズ店の設立である。こうして、1976年10月21日に生まれたのがコンピュータランドである。最初の社名は、コンピュータシャックであったが、ラジオシャックからの強硬な抗議を受けてコンピュータランドと社名を変更した。最初の実験店舗は、11月にカリフォルニア州へイウッドに設立された。正式な第1号のフランチャイズ店ができたのは、1977年2月のことである。コンピュータランドはみるみるうちに大きくなった。

 コンピュータランドの社長はエド・ファーバーであったが、実質的な支配者はビル・ミラードであった。初期資本がビル・ミラードから出ていたのに加え、従業員のうち25%はIMSAI出身者であったからだ。ただ、法律的にはIMSAIとコンピュータランドは、はっきりと分かれた形態を取っていた。

 1977年、IMSAIはゲアリー・キルドールのデジタル・リサーチからCP/Mを買い、IMSAI 8080に搭載した。CP/Mを搭載したことなど先進的な製品にもかかわらず、カスタマーサポートに問題があった。会社の成長に、サポートの内容がまったく追いつかなかった。さらにひどいことに、大したテストも行わないまま製品が出荷されてしまうようなことがあった。

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