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パソコン創世記


開幕のベル響く

富田倫生
2009/8/26

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 1977(昭和52)年に発売され、マイコン少年、マイコン青年たちのバイブルとでもいうべき存在となった、安田寿明(当時、東京電気大学助教授)の『マイ・コンピュータ入門』。その一節を読んで、後藤と加藤は思わずほくそえんだ。安田は、TK-80のマニュアルを、次のように評価していたのである。

 「キットに付属しているカタログ・マニュアル類のうち、『μCOM-80トレーニング・キットTK-80ユーザーズ・マニュアル』(マニュアル番号IEM-560)の内容は、抜群のできばえである。――TK-80の場合、そのマニュアルはマイクロ・コンピュータの自作・組み立てから利用にいたるまでの、懇切ていねい、微に入り細をうがった執筆ぶりである。なかでも笑い出したのは、MOS型LSIの取り扱い注意である。驚異的能力を持つにもかかわらず、MOS型LSIは、静電気に弱い。そこでTK-80マニュアルでは『静電気に対して万全を期したい方は、台所に行ってください。たぶん、そこには、ステンレスの流し台があると思います』とある。これは、まさに、そのとおりである。マイクロコンピュータの組み立て作業台として、台所のステンレス流し台ほど絶好最適の場所はない。ちゃんと水道管でアースがとられている。万全の静電気対策作業台である。」(『マイ・コンピュータ入門』講談社)

 ここまでのTK-80作りを独断で進めてきた渡辺和也は、当時の日電の社風にはいかにもなじまない、プラスチックモデルを思わせるはでな箱に収めたキットを、役員の参加する事業会議に堤出した。独断で進めてきたといっても、ことさらに何か構えがあったわけではない。あくまでマイクロコンピュータを売るための手段。確かに値段はつけたものの、商品という意識は薄い。教材を広めるための出血大サービス価格、景品まがいといった意識だった。

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 会議の席でも、えらく風変わりで高級なカタログを作り、やむをえずそれに値段をつけたといったニュアンスで、すんなり受け入れられた。ただ1つ注意を受けたのは「どうせそんなもの余るから、作りすぎるなよ」との1点。1ロット300台で、せいぜい3ロット900台もはければおんの字と踏んだ。

 1976(昭和51)年8月3日、TK-80発売開始。

 秋葉原の電気街に流すとともに、通常、ICやLSIなどの電子デバイスを流しているルートにも乗せられた。 

 そして翌9月13日、秋葉原駅前に新築されたラジオ会館の7階に、これもマイクロコンピュータ普及のためのサービスルームとしてNECビット・インが開設される。

 日電が働きかけ、電子デバイスの販売特約店である日本電子販売が開設したビット・イン。電子デバイスの並べられたビット・インの1角にはTK-80の修理、相談コーナが設けられ、マイコン販売部の技術スタッフ、後藤富雄や加藤明たちが交代で詰めることになった。

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