開幕のベル響く
富田倫生
2009/8/26
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など |
1976(昭和51)年2月、その年の9月に電子デバイス販売事業部と改称されることになる、半導体集積回路販売事業部内に、マイコン販売部設立。
渡辺に課せられた売り上げ目標は、半期1億円。
きわめて少ないスタッフでスタートした「マイクロ部」とはいえ、常識的に見てそれほどむちゃな数字とも思えないが、正直いって渡辺には、とても目標達成の自信はなかったという。
電卓戦争の秘密兵器として開発されたマイクロコンピュータだが、こと電卓に関してはよほど複雑な機能を備えた高級タイプにしか採用されることはない。
唯一売れたと言いうるのは、キャッシュレジスター用のみ。それまでのキャッシュレジスターは機械仕掛けでガチャガチャ金額を打ち込んでいくのにかなりの力を要し、腱鞘炎はキャッシャーたちの職業病ともなっていた。
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それに対し、マイクロコンピュータを使った電子式のレジスターなら、キーには軽く触れるだけですむ。一部で電子式のキャッシュレジスターが採用されはじめると、キャッシャーたちは羨望の眼差しを新式レジスターに向けはじめた。果ては、キャッシャーを募集しても、メカ式のレジスターを置いているところには人が集まらないといった事態にもいたり、ここに関してだけは、定期的にマイクロコンピュータがはけていったのである。
ただしそれだけでは、とても半期1億円のノルマは果たせそうもない。
この状況を打開し、マーケットを拡大するための教材は、TK-80と名付けられた。
TKはトレーニングキットの略。80は使用するマイクロコンピュータ、インテル社のi8080のセカンドソースとして日電が作っていたμPD8080Aから付けられた。
地味な社風の日電にしてはごく風変わりな、色つきのボール箱が用意された。
あくまで、マイクロコンピュータを理解してもらうための教材である。自分で組み立ててもらえばよりいっそう分かりやすいだろうと、完成品ではなく組み立てキットとした。
価格の設定には渡辺和也がこだわった。
単純に部品を合計しただけでもかなりになったのだが、10万円を超える価格ではせっかく使ってもらいたい各企業の技術者たちが、上司のハンコをもらいにくいだろう――。思い切って10万円以下、8万8500円とした。
後藤富雄と加藤明は、マニュアルにこだわった。
ともに評価用キットを、趣味として組み立てた経験を持つ2人である。マニュアルがいかに重要であるか、特にイメージのつかみにくいマイクロコンピュータを理解してもらうためには懇切ていねいな解説が欠かせないかは痛いほど知りつくしている。何しろ学生時代の加藤明は、資料不足に泣かされて1年近くもマイクロコンピュータに取り組みながら、ついにそのイメージをつかみきれないまま卒業するという悲惨な目にあっているのである。
アメリカで作られている各社の評価用キットのマニュアルを取り寄せ、2人で子細に検討する。TK-80の記憶装置には、値段の安く電力を食わないMOS型のLSIを使うことになったが、これがまったく静電気に弱い。油断していると、すぐにいかれてしまう。では、普段LSIに縁のない技術者に、どうすれば安全に組み立ててもらえるだろうか――。
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