ビット・イン日誌に記された兆し
富田倫生
2009/8/27
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など |
「おかしなことになってきたな」
ビット・イン日誌に目を通しながら、渡辺和也は首をひねった。
後藤や加藤からの報告によれば、ビット・インの修理コーナーにはかなりの台数が持ち込まれてくるという。特に土曜、日曜には、それこそ小学生からすでに定年退職したような人までがビット・インに押し掛けてくる。休日はビット・インの書き入れ時である。
ただしここで、小さな問題も生じた。
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民需中心の家電メーカーなら、年末や休日などの書き入れ時に社員を量販店に送り出し、販売のサポートをさせることなど日常茶飯事である。ところが、官需一本槍の日電には、そうした経験は皆無。マイコン販売部のスタッフが休日にも必ずビット・インに詰めているとなると、労務担当者からクレームがつく。渡辺たちが無茶なわけでもなければ、労務担当者が狭量だったわけでもない。日本電気とは、そうした会社だったのである。
ただしユーザーは、日電の体質とは無関係に、休日にビット・インに押し掛けてくる。後藤や加藤たちスタッフの出した答えは、休日の返上であった。
ビット・インからの報告によれば、どうやらTK-80、出足はかなり好調のようだ。
TK-80が予想を裏切って売れてくれることは、もちろん大歓迎である。それによってマイクロコンピュータへの理解が広まれば、本業であるその販売にも、見通しがつくことになろう。
しかし渡辺はビット・イン日誌を読み進みながら、何度も首をひねらざるをえなかった。渡辺に首をひねらせたのは、相談や修理の具体的内容である。ビット・インに詰めたスタッフには、ユーザーとの対応の逐一を日誌に書き込み、はっきり答えられなかった内容に関しては、宿題事項覧に記入し社内に持ち帰って検討する体制をとった。ところがこの日誌に、予想もしなかった内容が盛り込まれてくるのである。
あくまで技術者にマイクロコンピュータを理解してもらうという、本来の目的に沿ったような相談も、あるにはあった。ところがそれにもまして多かったのが予想もしなかった人種から寄せられる、とんちんかんな相談である。「私はシンセサイザーの奏者なのだが、手だけで弾いていたのでは1度に録音できるチャンネル数が限られる。それで以前から、コンピュータを使いたいと思っていたのだが、とても手が出ない。TK-80なら私にも買えるけれど、これでそんなことができるでしょうか」
後藤富雄は、こんな相談に目を丸くした。
すでにリタイヤした高齢の技術者が「コンピュータを個人でいじれるなんて。まったく夢のようだ。嬉しい、本当に嬉しい」と涙を流さんばかりに話す姿には、驚きにもまして感動すら覚えた。
「医療保険の点数を、これで扱えないか」と、OAの走りのような相談を医師から受けたときは、なるほどとうなずいた加藤明だったが、あるとき修理に持ち込まれたTK-80には、実際あきれてしまった。
あれほどていねいなマニュアルを付けたにもかかわらず、はんだ付けがまったくといってよいほどできていない。これまで電気回路にはいっさい縁がなく、1度もはんだごてを握ったことのない人間がTK-80に飛びついている。
「彼らはTK-80を、何だと思っているのか。これで何をしようというのか」
渡辺は湧き上がってくる疑問を、抑えられなかった。
そして、TK-80に群がったアマチュアたち1人ひとりは、自分なりの使いこなしに頭を悩ませはじめた。渡辺の抱いた疑問に、1人ひとりが解答を寄せようと努力しはじめたのである。
発売当初はあくまで、ビット・インに持ち込まれる数の多さから、「かなり売れているのでは」と予測の域を出なかったTK-80の売れ行きは、しだいにはっきりと数字に現われはじめた。
とてつもない売れ方である。
発売前は、全部で1000台もいけばと思っていたものが、月に1000台作ってもまだ足りないとなる。ラジオ会館7階に足を運ぶ人はさらにふえ続け、ビット・インはしだいにマニアの情報交換の場となりはじめ、マイコンゲームには小学生や中学生が群がりはじめた。
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