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パソコン創世記


タケシ、君の彼岸としてのパーソナルコンピュータよ

富田倫生
2009/9/18

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 そして翌9月2日の夜、ヨーコと母が話し込んでいる部屋をタケシは抜け出した。人2人がかろうじてすれちがえるほどの狭い階段を上がり、4階建てのアパートの屋上に出た。

 むし暑い空気の中で、肌はじっとりと汗ばんでくる。息苦しい夜の底の隅で、タケシは格闘を続けていた。

 屋上に張りめぐらされた鉄製の柵は、意外なほどに細く頼りない。その柵を目がけ、息を呑んで走るが直前で止まってしまう。何度か死の淵へのダッシュを繰り返すうち、肌をつたわる汗はいっそう熱くなった。脳の神経回路はしだいに灼熱化し、夜の闇は白くなっていった。

 そして、一瞬の落下の感覚と、左肩から腕、手首を貫く衝撃――。

 タケシの体は柵の向こう側にあった。鉄柵の根本を握った左腕が、タケシの体をかろうじて支えていた。

 目の前に迫った死の恐怖は、タケシの心に鞭をくれた。

 一瞬のうちに右手を伸ばして体を支えなおし、ねじるように体を引き上げる。柵を越えて大きく息をついたとき、白く輝いていた夜の闇は、光を失っていた。

 タケシにはもう、柵と向き合う気力は残されていなかった。

 狭い階段を下りるうち、だがタケシは再び考えはじめていた。生きているべきではない自分を救ったのは、いったい誰なのか。悪魔とでも呼ぶべき邪悪な意志が、自らの死すべき運命をねじ曲げたのではないか。

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 〈左手は、悪魔の手なのか――〉

 タケシは心の中で繰り返していた。

 死の淵から逃れてもなお、頭の中をかけめぐる思考の渦は止らない。

 それ以降2度と、自殺への誘いがタケシを完全に支配することはなかった。

 しかしその夜から約半年後、TK-80と名付けられたパーソナルコンピュータなる代物に出会うまで、タケシの精神の健康は完全に回復することはなかったのである。

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