タケシ、君の彼岸としてのパーソナルコンピュータよ
富田倫生
2009/9/18
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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など |
■第2章:タケシ、君の彼岸としてのパーソナルコンピュータよ
陽が西に傾くと、凪が風を食う。
広島の夏の夜は熱い。
海風が陸風に吹き変わるまでの数時間、空気はゼラチンでも溶かし込んだように澱む。肌に滲み出た汗は、乾かぬままにいつまでも体毛をはりつかせる。
1978(昭和53)年9月2日、タケシは広島の熱い夜の底にいた。
3重県津市の西北、なだらかな丘陵に広がるヤマギシズムの豊里生活実顕地。ここでタケシは5カ月間のコミューン生活と、二度の精神病院への入院を体験している。
そして前日の9月1日、故郷の広島に帰った。
担当の医師は「このままでは豊里と病院との往復になりかねない」と判断し、一時取りあえず帰郷してみることを勧めた。
二度の入院治療を経ても、タケシの精神の灼熱感は去らなかったのである。
〈もう、生きてちゃいけない〉
心の中で絶え間なくそうつぶやきながら、タケシは考え続けていた。
豊里を出て、妻のヨーコと京都駅のプラットホームに立ち、下りの新幹線を待った。
ひかり25号――。
途切れなく続く思考の渦の中で、1日が24時間から成ることの意味を考えていたタケシに、すべり込んできた列車に付けられた番号は天啓のように響いた。25、つまりは24の外にあるもの。
〈この列車は、1日の外に僕を運ぶのか――〉
広島に向かう車中、レールの響きに声がまじっているのが分かる。声は、何事かを繰り返し繰り返し語りかけてくる。だがその言葉の意味は、てのひらにすくった水が指のあいだからこぼれるようにつかみとれない。
ヨーコに語りかけようとすると、喉にたんがからむ。
〈しゃべっちゃいけないのか。誰かがしゃべっちゃいけないといってるんだな――〉
口をつぐんだまま、タケシは考え続けていた。そして、心の中で繰り返していた。
〈もう、生きてちゃいけない〉
広島駅に降り立った2人は、タケシの従兄弟のアパートに向かった。タケシの一家が豊里に移り住んだのち、母は広島の従兄弟の家に世話になっていた。
アパートに入ったタケシは、つけっぱなしになっていたテレビ画面に視線をやり、そのまま凍りついた。
たくさんの人が避難を続けている。ヘルメット姿の、あれは消防署員だろうか。怪我を負った人の手当てに忙しく立ち働いている。
〈大地震――〉
またあの奇妙な感覚が、タケシを襲った。自分の怒りが、物質化する。自分が怒ったとき、憎悪を感じたとき、怒りは、憎悪は、災厄となって現実の世界に姿を現わす。
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この大地震もまた自分の怒りが、自分という存在が引き起こしたものではなかろうか。
テレビ画面は切り替わり、アナウンサーはその日、地震に対する大規模な総合演習が行われたことを告げた。
タケシは息をついた。
しかし、内心の声は少しだけ大きくなっていた。
〈もう、生きてちゃいけない。自分が存在していることは悪なんだ〉
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