浅間山荘事件と「警察官募集」の貼り紙
富田倫生
2009/9/29
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など |
「子供できたよ」
淡々とヨーコが告げたとき、タケシはむしろホッとしていた。
1972(昭和47)年1月、高校卒業は2カ月後に迫っていた。
大学に進まぬことは決意していても、では高校を出て何をするのか、この時期にいたるまでタケシは決めかねていた。そんな宙に浮いたままの自分を、子供はとにもかくにもどこかにつなぎとめてくれるのではないか。ヨーコとの不安定な関係も、結婚という手続きを踏むことで落ちつくのではないか。
タケシは目的がふいに目の前に現われたことで、自らが活性化されてくるのを感じていた。ヨーコとの2人の共和国づくり、いや生まれてくる子との3人の共和国づくりは充分に生きることの目的たりうるのではないか。
1つ年上のヨーコは、高校卒業後広島市内に下宿し、保育園で保母として働いていた。タケシの目には、ヨーコもまたごくあっさりと妊娠という事件を受けとめているように見えた。
周囲には、年若い2人の結婚と出産を危ぶむ声もあったが、2人はともに歩むことを決意した。
進学一本やりの高校では、大学受験のための進路指導は手厚く行われても、就職希望者への指導には経験も力もない。
2月に入ったとき、タケシは高校を頼る気持ちを捨てた。
「悪くないな」
タケシは白い息を吐いてつぶやいた。
気候のおだやかな広島とはいえ、2月の風は肌を刺す。背中を丸め、てのひらを吐息であたためながら、タケシはポスターの文字を目で追った。
「警察官募集」
今からすぐに手続きをとれば、試験日には間に合う。合格すれば1年間、警察学校で教育を受け、そのあいだももちろん給料は支払われる。
「面白いのかもしれない」
タケシはもう一度つぶやいた。
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結婚し、子供を育てていくためには、とにもかくにも定職につく必要がある。警察官という職は、その最低条件は明らかにクリアーしている。さらに警察という職場では、自分の中に緊張感を持続できるのではないか。
タケシはそう考えた。
警察という機構の果たしている機能にはかなりの幅があるのだろうが、少なくともデモの規制に駆り出される機動隊に関しては、タケシの目には国家の暴力装置としか映らなかった。しかしそうした機能も含め、警察という組織で物事がどう進められているかを自分の目で見ておくことは、面白いのではないか。
申し込み手続きをとり、試験は広島の警察学校で受けた。
タケシが就職の準備に追われていたこの年の2月、テレビカメラは軽井沢のある別荘をにらんだまま動かなくなった。
1972(昭和47)年2月19日――。
連合赤軍の5人は河合楽器の浅間山荘に、管理人の妻を人質に立てこもった。
報道陣は軽井沢に殺到し、テレビ各局はえんえんと現場の模様を中継し続けた。
そして2月28日、機動隊は浅間山荘に突入、銃撃戦ののち5人を逮捕して人質を救出。警官2名が死亡、13名が重軽傷を負った。
翌3月、連合赤軍内のリンチによる死亡者の遺体、続々と発見。発掘された遺体は12に及んだ。
連合赤軍による事件が浅間山荘への立てこもりから内部でのリンチによる殺人へと大きくその相を変えた時期、タケシは合格の報せを受けた。
広島以外でも、東京、大阪、京都、神戸などの警察学校への入校を希望することができた。タケシには、もともと広島に残る気持ちはなかった。ヨーコとの新しい共和国建設には、新しい空間が必要だった。タケシは広島に倦んでいた。
東京にはかつての仲間が多くいたが、そこを選ぶ気にはなれなかった。昨年の12月24日、ジングルベルが最高潮に達しケーキの売り子の声が大きく響くイブ、新宿の繁華街で57歳の警察官が左足を失った。道路をはさんでデパートの伊勢丹と向かい合う派出所横で、クリスマスツリーに見せかけた爆弾がすさまじい音とともに炸裂。警察官と通行人、合わせて12名が重軽傷を負った。
その1週間ほど前にも、爆弾テロによる死者が出ていた。
12月18日、東京豊島区の土田国保警視庁警務部長宅の応接間で小包に仕掛けられた爆弾が炸裂し、夫人が死亡、4男が重傷を負っている。
タケシは東京が恐ろしかった。共和国建設の空間としては、あまりに肌触りが悪かった。新しい生活のスタートは、昔からあこがれのあった京都で切ることとした。
1972(昭和47)年3月14日、高校を卒業。卒業式のあと、その足で婚姻届けを出した。
警察学校は全寮制である。
京都と大阪を結ぶ阪急京都線の沿線に、6畳と3畳の2間、台所とトイレのいわゆる文化住宅を借り、ヨーコはそこで暮らすことになった。
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