明日を食らう虫
富田倫生
2009/10/1
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など |
タケシが警察学校を去って3日後、1973(昭和48)年1月27日、アメリカ・南ベトナム、北ベトナム・南ベトナム臨時革命政府は、パリでベトナム和平協定と議定書に調印した。
翌28日、協定は発効。29日には、アメリカ大統領ニクソンがベトナム戦争の終結を宣言した。
結婚を決意してからちょうど1年後、タケシとヨーコ、そして生まれたばかりのヒカルの生活がスタートした。
ニクソンによるベトナム戦争終結宣言の直後には、タケシはもう働きはじめていた。母方の伯父は大阪で電話工事の請け負いを行う会社を営んでいた。この会社が、電電公社からの業務委託の共同の窓口となり、各実行グループに仕事を割り当てる。その実行グループの1つを従兄弟がやっており、その一員に加えてもらったのである。
電話工事の朝は早い。
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午前8時には事務所に集まり、たいていは2人がペアとなって取り付けに回る。工事を行う場所にもよるが、新設工事なら1日に10件ほどがめど。グループによっては多少傷んでいても昔あった線をそのまま使ってしまい、手抜きで効率化を図るところもあったらしいが、タケシの入ったグループは、真面目一本やりだった。時間内びっちり働いても、アパートに帰り着くのは8時、9時となる。
生活は、単調ではあるが確実なリズムを刻みはじめた。
タケシには、新しい電話工事の仕事への不満があったわけではない。特に仕事を始めた当初は寒さの厳しい時期であり、作業内容も新興団地の構内ケーブルの配線と吹きっさらしでの作業であったため、寒さはこたえた。
電話工事の仕事になれてくるにつれ、しだいに暖かくなってきても、忙しさには変わりがなかったが、それが不満に結びつくことはなかった。繰り返しの要素の多い仕事ではあったが、その中でも小さな達成感はあった。構内ケーブルを美しく仕上げたり、工事のオーダーを少し多めに持っていって1日のうちにやり終えたりすれば、その場限りとはいえささやかな達成感はあった。
ただし、自分の毎日に充実感はあるかと問われれば、タケシはおそらく首を横に振っていただろう。
「生活に充実感はあるか」などという愚問がたずねられた当人に多少の重みを持つとすれば、それはすなわち、当人の心になにかしら渇きのようなものがあることを示しているに違いない。そのような渇きがなければ、誰が「生活の充実感」などという不確かな存在に思いをめぐらすだろう。
タケシには充実感はなかった。いや、正確には、ないのだと考えていた。
高校時代の友人たちは、ほとんどが大学に進学している。そのことを思うと、タケシの心は焦れた。
大学に進まないという選択を悔いたわけではない。大学の拒否は、自らの選びとった道である。だがタケシの内心の渇きは、友人たちの日常に幻想を与えがちになった。彼らは大学で、あるいはそれ以外の場所で、自分の手にすることのできない新しい何かをつかみとっているのではないか。
タケシは心の中に、〈明日〉を喰う虫を1匹飼っていた。
厳しくはあるが確実に繰り返されていく仕事を中心にした毎日。ヨーコやヒカルと過ごす一時。そうした連綿と続く波のない日常の中で、虫はしだいに腹を空かせはじめる。餌をよこせと、タケシの心の壁をつつきはじめる。
目の前に現実に存在しているものの総和が今日であり、〈明日〉とは、それを時間軸に沿ってちょうど24時間だけ移動させた存在にすぎないとき、虫は腹を空かせる。騒ぎはじめた虫からの信号を、心の壁をこわばらせて閉ざしてしまえば、それでも虫はしばらくのあいだ虚しい叫びを上げ、やがては餓死しよう。
しかしタケシは、タケシの生きてきた時代は、誰の心にも棲んでいる心の虫を少しだけ大きく育てすぎてきた。そしてタケシの心の壁は、虫からの信号を閉ざしてしまうにはいまだにあまりに柔らかく、新鮮だった。
「私らのために働くんじゃなくて、もっと自分のやりたいことをやったらええじゃない」
電話工事の仕事を始めてから、ヨーコは口癖のようにタケシにそう言うようになった。おそらくはヨーコ自身、タケシに向かってそう言うことで、自らの虫からの信号と折り合いをつけようとしていたのであろう。
ヨーコの心の虫も、飢えていた。
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