太宰治と谷川俊太郎
富田倫生
2009/10/16
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など |
タケシは眠れなくなっていた。
ほんの1、2時間、うつらうつらするだけで、それでも働き続けていた。小さなささやき声が、24時間耳から離れなかった。
ヨーコが病院に行くことを勧めたとき、タケシは素直に従う気になった。
山口で立ち往生したとき、タケシは初めて「まわりから見れば狂っていると思われても仕方ないな」と感じていた。
1978(昭和53)年6月24日、タケシは病院の門をくぐり、2日後に入院した。閉鎖病棟ではあったが、中での行動は自由だった。本を読み、麻雀や花札をし、卓球で体を動かす。
タケシは、眠れるようになった。
けれど、なおも考え続けていた。
この病院は、戦場に設けられた避難所なのではないか。Z革命の実践される実顕地は戦場であり、戦場で傷ついた者がこの避難所に入って傷をいやす。そして再び、戦場にもどっていく。豊里とこの病院とのあいだでは、そうした有機的な連携プレーが行われているのではないか。
だが、自分が戦場に復帰する日は、果たしてくるのだろうか。
花札をしている最中、突如一連の言葉が頭の中で響きはじめ、繰り返し繰り返し続いていった。
松、桐、坊主。
まつきりぼうず。
待つだけできりのない坊主、待つだけできりのない坊主――。
一方で自分が傷ついていることを自覚しながら、タケシは自分の内にこれまでにはなかった新しい力が生まれつつある感覚を味わっていた。
自分の心の中にあるものが、物質化してしまう。
堂々めぐりしていた思考がふと途断えたとき、一瞬、空の色が反転して見えた。空の色は反転したのか。いや、あれは自分が反転させてしまったのではないか。
テレビのプロ野球中継を見ているとき、バッターボックスに立った選手に心の中で「クソ」と不快の舌打ちをくれた。するとその選手が、デッドボールをくらう。
何やら未来の予知もできそうな気がする。
そしてタケシはもう一度考えた。
絶対に腹の立たない人を目指した自分に、心の中の怒りを物質化させてしまうような力を与えたのは、いったい誰なのか。
7月15日、いったん退院して豊里にもどった。
実顕地中でみなが働いている音が、すべて聞こえてくるような気がする。あっちで、トントン。こっちで、ガサゴソ。どの音もけっして大きくはないが、はっきりと聞こえてくる。タケシはまた眠れなくなった。
8月2日、再入院。
病院にもどると切迫感は急にうすらぐ。
3日には、中学、高校と同じだった友人が病院を訪ねてくれた。太宰治の小説と谷川俊太郎の詩集を受け取った。しばらく話し込んだが、もう1人の自分の目からも対応はまともに見えた。
だが、2度目の入院によっても、自分の心にあるものが物質化してしまう感覚は去らない。
2度目の入院のとき、豊里から少しヒビの入ったコップを持ってきた。患者の1人にそのコップを借してくれといわれ、何気なく手渡した。返されたコップには、何かしら相手の悪意が込められているような気がした。ヒビはいかにも奇妙に変質し、それによって相手は、己の力を誇示しているように思えた。
タケシは、それに対して自らが腹を立てることを恐れた。怒りが物質化し、相手に災厄が及ぶことを恐れた。
2度目の入院中、初めて死が心に浮かんだ。自分が存在していることそれ自体が、悪なのではないか。
担当の医師は、豊里にもどることを勧めなかった。
1978(昭和53)年9月1日、タケシとヨーコは豊里を出た。新堂から草津線で京都まで出、ひかり25号で広島に向かった。
レールの響きにまじって聞こえてくるささやきに耳を澄ませながら、タケシは考えていた。
〈もう、生きてちゃいけない〉
心の中で断え間なくそうつぶやきながら、タケシは考え続けていた。
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