悪魔の左手
富田倫生
2009/10/19
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など |
9月2日、悪魔の左手はタケシを救った。
死の淵に渡した細い綱の上を、蝸牛のようにほんのわずかずつ進みながら、タケシは精神の灼熱感を冷ましはじめた。
14日、豊里にもどったヨーコから電話があった。ヒカルとタエコを連れ、実顕地を出て実家に帰るという。
6年に及ぶヨーコとの暮らしが完全に終わったことを、タケシは初めて自分自身に受け入れた。
「早く働いた方がいいと思うよ」
ヨーコは最後に、そう付け加えてから電話を切った。
9月16日。タケシは深更を過ぎても眠らなかった。時計の針が12時を過ぎ、17日に入った。だが、夜に区切りはない。
ひっそりと寝静まったアパートの中で、タケシ1人が起きていた。
狭い階段を上り、屋上に出た。
2週間前、まだまだ夏の名残をとどめていた夜の空気に、秋の気配が入りまじっていた。
屋上に腰を下ろし、空を見上げた。
午前2時16分、月はほんのわずか東側から欠けはじめた。
午前3時22分、白く輝く月は、夜空から完全に消えた。
だが、皆既食に入ったからといって、月がまったく見えなくなってしまうわけではない。夜空はずいぶんと暗くはなるが、大気のいたずらで月は鈍い赤銅色に見える。
タケシは飽かず、赤銅色の月を見上げていた。
午前4時44分、失っていた白い輝きを、月は東側から取り戻しはじめた。
鳥がさえずりはじめた。
午前5時5分、月食が完全に終わったとき、タケシの熱は少しだけ冷めていた。
職を探す気になった。職安で紹介を受け、経験のある電話工事の仕事を決めた。
10月1日、最後の整理のために、豊里にもどった。「どうだい、もう一度ここでやれそうかい」と問われ「今はちょっと、できそうもない」と答えて、5カ月の参画生活を終えた。
電話局に新設や付け替えを申し込むと、まず電電公社から元請けに仕事がまわされ、そこから下請けの作業グループに仕事が割り振られる。下請けの値段は1件あたりいくらで、仕事の出来映えは現実のところ関係がない。作業の仕様は定められてはいるが、手を抜こうと思えば抜ける。
タケシの入ったグループは、全員で6人。5年以上のキャリアはあったが、まずは先輩のやり方に従って働きはじめたタケシの目に、このグループの仕事の進め方はずいぶんと不思議に映った。
手を抜くのである。
本当は張り替えなければならない電話線をチェックしてどうにか使えそうならそのまま使ってしまう。そのままにしておけばトラブルの原因になりかねないものにも、平気で目をつぶる。
そうした働き方、労働のあり方が、タケシには不思議だった。
豊里での仕事は、「タダ働き」である。だがそこでは、生きることと働くことは、融合していたように思う。労働は生きていくために必要な金銭を得るための手段ではなく、それ自体が目的だった。だからこそ豊里の人たちは、タケシの目からはロボットのように見えたことも事実ではあるが、あれほど長い労働に自ら向かっていけるのだろう。確かに豊里にも、働かない人はいる。しかしそこには手抜きといったものはなかったように思う。
タケシは、建設部のベテランの見事な仕事ぶりを思い出していた。
豚舎のコンクリートの床には、微妙な勾配をつけて排水口に水が自然に流れ込むようにする。豊里に入ってそうそう、タケシはこてを使って床を仕上げていく人の見事な手並みに、しばらく見入っていたことがある。1つのリズムに乗って躍るように働き続けると、床が仕上がっていく。かすかな勾配を与えられて仕上がった床を見ていると、何やら排水口から床一面に、炎が広がっているように見えた。
かつて大阪でやっていたときと1日あたりの件数はほとんど変わらなかったが、朝8時半に仕事を始め、ここでは5時ごろには上がりとなった。
電話工事の仕事に移動はつきものである。街中を走り回っていることもあれば、郊外に出ることもある。
最初ははっきりとそうは意識しなかった。しかししだいに、郊外に出ることに不安を感じている自分を意識しはじめた。緑が恐いのである。
草が生い茂っている。妙に不安なくせに、そこに目がとまる。草のゆれ方がおかしい。何者かが自分の存在を知らせようと、意図的に揺らしているように思う。視線は奇妙に揺れ続ける草にはりついたまま、動かなくなる。そして、灰色の不安がこみ上げてくる。
緑は豊里のイメージにつながり、そこでの苦闘を意識下で反芻することになるのだろうか。
だが、確実に刻みはじめたおだやかな、いってみれば張り合いのないリズムは、タケシの熱をゆっくりと冷ましていった。タケシは考えることを意図的に避け、精神のおだやかさを回復することに専念した。
しかし皮肉にも、心に負った傷が治癒しはじめるにつれ、タケシはそれを促進したおだやかではあっても張り合いのない生活のリズムを意識するようになっていた。いいかげんな仕事の進め方に対し、不快感が強まった。
この生活のパターンを変えてくれる何かを求めはじめていた。
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