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パソコン創世記


タケシ、ソフト開発の仕事を始める

富田倫生
2009/10/28

「TK-80とタケシ」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 自分だけのコンピュータ、何に使ってもよいコンピュータを買おうと決意した人のほとんどは、しばらくはカタログを見比べながらああでもない、こうでもないと幸福な揺れを体験する。タケシも大いに迷った。

 夏のボーナスをあてて、パーソナルコンピュータを買うことを決めていた。最初はTK-80の価格を性能はそのままに1万円以上切り下げた、TK-80Eを買おうと決めていた。定価は6万7000円。これに電源を付けたり、カセットとのインターフェイスを付ければ8万円から9万円にはなる。

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 ところが『マイコン基礎講座』を読み終えたあと、日本電気から新製品が発売された。

 TK-80とTK-80BSを組み合わせてケースに収めた、コンポBS。これにはカセットデッキの有無で2種類があり、付いている方で定価が23万8000円、付いていない方で19万8000円だった。

 さらに続いて、我が国初の本格的パーソナルコンピュータであるという「画期的な新製品」のニュースが飛び込んできた。

 TK-80でマイコンブームを巻き起こした日本電気の製品で、名前はPC-8001という。

 5月に東京で開かれたマイコンショーで発表され、大変な人気を集めたという話で、6月、7月のマイコン誌には、PC-8001絡みの記事が続々と出はじめた。

 こうなると、迷いのたねはつきない。

 基本的には、自分で組むところからやってみたかった。ただし、値段に対する性能の比、コストパフォーマンスを考えると、迷いが出る。TK-80Eが6万7000円、TK-80BSが12万8000円で合計するともう、19万5000円になる。これに電源を付けることや記憶容量の大小を考慮すると、コンポBSも悪くない。

 さらに、PC-8001発売のアナウンスのあったあと、コンポBSの値引きが始まっていた。当時はパーソナルコンピュータに関しては、まったくといっていいほど値引きされなかった。ところが新製品発表ののち、コンポBSはカセットなしのタイプで15万円まで値引きされた。

 PC-8001にも、魅力はあった。特にグラフィック関係は相当強力そうだし、16万8000円という価格も、かなりお買い得といった印象を与えた。けれどタケシは、もう少し機械語でコンピュータをいじり回してみたかった。コンポBSもベーシックが使えることは使えたが、まだ機械語のにおいがぷんぷん残っていた。さらに何よりも、PC-8001は当分手に入りそうにもなかった。発表直後から予約が殺到し、8月の時点で予約しても9月の発売時点ではとても手に入らない。早くても12月だという。

 そこまではとても待てない。

 1979(昭和54)年8月、タケシは夏のボーナスをはたいて、コンポBSを買った。

 自分だけのコンピュータを実際に手にした人の多くは、しばらくは睡眠不足と付き合うことになる。まずはマニュアル首っぴきでとにかくキーボードを叩きはじめ、リストを見ながらプログラムを入れて実際に動くことに感動し、今度は自分なりのプログラム作りに頭をひねることになる。

 タケシの眼も、赤くなった。

 念願のグローブを買ってもらった子供が寝るときも枕もとに置いておくように、タケシもコンポBSの隣で寝た。

 自作プログラムへの初挑戦のテーマは、お絵かきソフトとした。コンポBSの記憶装置には、アルファベットや数字に加えていくつか記号が収められていた。ところがキーボードには、これに対応したキーがない。いわゆるグラフィック記号の中から、例えばハートを画面に出したいときは、プログラムの中でハートに割り当てられたコード番号を指定するしかなかった。

 そこで、キーボードからグラフィック記号を呼び出すプログラムに挑戦してみることにした。

 テレビ画面に出ている文字をクリアする。つまり消してしまうと、カーソルと呼ばれる明滅を繰り返す輝点が、画面の左上のすみの位置にもどる。本来なら原点にあたるこの位置から、カーソルは右方向と、下方向に動く。そこで、原点にもどったカーソルをさらに上の方向へ動かそうとすると、自動的にモードが切り替わってグラフィック記号を呼び出せるようにしようと試みたのである。

 このプログラムを、タケシは機械語と高級言語の中間的な存在であるアセンブリー言語で書きはじめた。ただしアセンブリー言語を機械語に翻訳するためのプログラム、アセンブラーは使えない。アセンブラーに代わって翻訳作業を行うのは自分自身。手作業の、ハンドアセンブルを進めていく。

 プログラムを書く作業、それは小さな自立性を備えた世界を自ら創り上げていく作業である。1つの達成すべき課題があるとして、まず求められるのはその課題を達成するための手順をつかむことである。コンピュータの世界ではアルゴリズムと呼ばれる課題達成のための手順をつかみ、次に1つ1つの手順を実現するためにプログラミング言語で手順を記述していく。

 だが、プログラミング言語で記述された小さな世界に生命を吹き込んでいく作業は、そう平坦なものではない。言葉の綴り誤りや文法上のミス、さらには手順の流れに穴があいているなどの欠陥によって、小世界はなかなか動きだしてはくれない。バグ(虫)と呼ばれるミスを取り除いてはじめて、プログラムは動きだす。しかしそれでもなお、どこかに隠れている手順の穴に落ち込み、流れが止まったり乱れてしまったりする可能性はある。

 タケシはコンポBSのキーボードを叩き、テレビ画面をにらみながら、デバッギングと呼ばれる虫取りの作業に夢中になっていた。自分の創り上げた小さな世界から、1つ1つ夾雑物を取り除いていく。すると、これまで生命を持っていなかった世界から鼓動が聞こえはじめる。

 自らの頭脳の延長上に新しい世界を築き、そこに生命を吹き込む。タケシはこの作業を、真底楽しんだ。築き上げられ、生命を吹き込まれた世界を、心から美しいと感じていた。

 週3回、専門学校で学ぶことをフォローしていくには、家でかなり自習する必要がある。それに加えてコンポBSとは、遊びたい。このときは正直、電話工事の仕事が手抜きゆえに早く終わるのがありがたかった。

 専門学校は、4月から9月までの6カ月間続く。卒業が近づいたころ、何かコンピュータ関係の仕事を紹介してもらえないかと教師に頼んでみた。就職斡旋の制度はなかったが成績がずば抜けてよかったせいもあるのだろう、大型コンピュータのオペレーターの仕事を紹介してくれた。

 1979(昭和54)年10月、タケシは電話工事の仕事をやめ、オペレーターとして働きはじめた。

 オペレーターが実際やる仕事のほとんどは磁気テープや磁気ディスクの交換など、単純な作業である。コンピュータに関する知識が皆無では困るが、それほど頭を使う必要はない。長時間、機械にへばりついている必要はあるが、基本的には待ちの仕事である。

 だがタケシは、オペレーターという仕事を大いに活用した。機械にへばりついている時間のほとんどを、勉強にあてたのである。

 タケシの派遣された会社では、これまで使っていた機械をIBMの新しい中型機、4331に置き換えるため、人員をそちらにまわす必要があってオペレーターを補充していた。その新しい機械に付けられた膨大な教育資料が、格好のテキストとなった。

 大型コンピュータを実際に使い、そして学びながら、パーソナルからコンピュータに出合ったタケシは面白い発見をしていた。

 こと使い勝手に関しては、パーソナルコンピュータの方がよほど気が利いており、上なのである。

 大型コンピュータの代表的な入力方式である、パンチカード。IBM仕様の80桁のカードに、穿孔機のキーボードを叩きながらガチャガチャ穴をあけていく。これをコンピュータに読ませることになるのだが、1つでも穴をあけ間違えるとカードごとおじゃん。最初から、カードを作りなおすはめになる。

 パーソナルコンピュータでは、テレビ画面を見ながら間違った文字をスクリーン上で直すことは常識である。

 「パーソナルコンピュータでできることが、なぜ大型機でできないのか。ある面では大型は遅れてるんだな」と思う一方で、タケシは大型とパーソナルとの「文化」の違いとでもいったものを感じとっていた。

 パーソナルコンピュータの原点は、きわめて能力の低いそれこそ超貧弱マシンである。しかしその原点から出発して、パーソナルコンピュータは、使う側がこうあってほしいという方向に進歩してきた。それに対して大型機はこれまで、使う側が機械に合わせること、つまりこうあらねばならぬことを求めてきたのではないだろうか。

 パーソナルでコンピュータと出会い、それから大型の世界を知るという逆コースをたどったタケシには、もう1つ気になる言葉があった。
「端末」である。

 タケシにはどうも、この言葉に違和感があった。いつまでたっても、この言葉に慣れなかった。自らこの言葉を使いながらも、口にするたびに心の奥で引っかかるものがあった。

 端末、つまりは大型コンピュータを中心としたシステムに、情報の入出力を行うための装置。身近なところでは、銀行の現金自動支払機や国鉄のみどりの窓口にある装置などがこれにあたる。中央に主コンピュータが置かれ、各端末は通信回線を通じてコンピュータに接続されており、ネットワーク化されたシステムが、効率よく業務をこなしていく。

 この端末には、2種類がある。1つは、それ自体は入出力の機能しか持たない、比較的単純なもの。そしてもう1つが、端末それ自体も多少の情報処理機能を持つ、インテリジェント端末と呼ばれるものである。

 そして、もともとはそれ1台で独立して使われていたパーソナルコンピュータも、高度情報化社会に向かってコンピュータのネットワーク化が進むと、インテリジェント端末として使われる機会が多くなるという。

 しかし、コンピュータのネットワーク化が進みつつあり、今後それにいっそうの拍車がかかるのは当然としても、果たしてそれはパーソナルコンピュータを端末という性格におとしめ、それだけに役割を限定させるものだろうか。

 端末という言葉には、あくまでもシステムに奉仕するもの、という響きがついてまわる。端末は、課題を達成するうえで必要なときだけ機能すればよいわけで、端末が勝手な処理を行ったり、端末同士がムダなおしゃべりを始めたりすれば、システム全体の効率を損なうことになる。

 そしてもし、パーソナルコンピュータが端末としての性格を強めていくとすれば、それは社会全体のシステム化、つまりは管理化が進んで、社会全体として達成すべき課題が狭い範囲に絞り込まれたときではないか。パーソナルコンピュータが端末として強く機能する社会、タケシにはそれが、個々人の統合化が進んだ全体主義的な社会に思えてならなかった。

 だが果たして、社会はそうした方向に進んでいくのだろうか。

 例えば、現在高度にネットワーク化が進んだものとして、電話がある。この電話は、果たして端末だろうか。

 ある1つの組織がある課題を達成するために電話を利用している場合に限れば、電話は端末として機能することになろう。ただし、電話の性格はそれだけではない。私の目の前にある電話は、私の気まぐれな求めに応じて日本国中、世界中とつながってくれる。そして私は、電話を通じてさまざまな情報を得ることができる。親しい人の声を聞くという、純粋な楽しみのためだけに利用することもできる。

 電話は、端末として機能することもある。しかしそれは、もっと幅の広い存在である。個人にとって電話とは、世界に向けて開かれた窓である。

 そして、コンピュータのネットワーク化が進んだとき、パーソナルコンピュータもまた、個人にとっては世界に開かれた窓として機能するのではないか。そしてこの窓は、電話のそれと比べればはるかに強力な存在となることは間違いない。この窓を通じ、人ははるか彼方までを見通すことができよう。そんなとき、この魅力的で強力な道具を、人は端末などといういかにも何かの従属物といったイメージを持った言葉で呼ぶだろうか。

 タケシにとって端末とは、「こうあらねばならぬ」コンピュータのイメージにつながっていた。彼はパーソナルコンピュータに、世界に開かれた窓として機能してほしかった。

 「こうあってほしい」コンピュータと「こうあらねばならぬ」コンピュータ――。タケシは職業としても、「こうあってほしい」コンピュータにつきたくなった。

 オペレーターとして働きながら勉強を続けていく一方で、パーソナルコンピュータ上でのソフトウエア開発の仕事を探しはじめた。

 1982(昭和57)年3月、ソフト開発の仕事を決めてタケシはオペレーターをやめた。

 しばらく前から山岸会の実顕地生産物供給所に顔を出していたタケシは、新しい仕事を始める前にもう1度ヤマギシズムに向き合う気持ちになっていた。春日山を訪れ、3度目の研鑽学校を体験した。

 タケシは今、日本電気のパーソナルコンピュータ、PC-9801のキーボードを叩きながらプログラム作りを職業とし、ヨーコはヒカルとタエコとともに豊里にある。

 「晴耕雨コンピュータ」

 それが現在のタケシの夢であるという。

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