■ 原爆による自滅から人類を救う道具の夢 |
〈思考のおもむくままに〉情報を取り出せる装置
富田倫生
2009/11/5
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など |
マサチューセッツ工科大学(MIT)の副学長を経て、大量の科学者を動員して進められたマンハッタン計画を指揮したヴァニーヴァー・ブッシュは、1945年7月号の『アトランティックマンスリー』誌に「思考のおもむくままに」と題する原稿を寄せた。
おびただしい論文の中から必要な才能を見つけだし、積み上げられる書類の山をさばいて原子爆弾の開発過程をコントロールしたブッシュは、目の前に迫った平和の時代に科学者がなすべきことを思ってこの原稿の筆を執った。
理論的な研究を放棄し、兵器の開発に全力を傾けた物理学者たちを、ブッシュは「偉大なチーム」と位置づけた。だがその一方で、科学によってさまざまな恩恵を受けた人間が、きわめて残虐な兵器をもまたこれによって獲得したことを、彼は苦い思いで確認せざるをえなかった。
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ブッシュの細い希望の糸は、民族の膨大な経験を蓄積し、自在に過去を振り返りうる道具を用意することで、争いによって自滅する前に人類を進化させることだった。
経験や知識を蓄積し、〈思考のおもむくままに〉情報を取り出せる装置の必要性は、ブッシュの専門である科学の分野でも明らかだった。新しい論文はますます大きな山をなす一方で、研究者は他人の発見や結論をカバーすることに追いまくられている。それぞれの領域はより専門性を高めつつあり、視野を広くとって各分野を見渡し、異なった分野のあいだに橋を架けることは、ますます困難になろうとしている。
にもかかわらず、科学者が研究成果を伝えたり、参照したりする方法が旧態依然たるものであることを、ブッシュは深刻な問題と指摘した。
「人類の経験の総体は驚くほどの速さで増加しているにもかかわらず、私たちがその結果生じた迷路をたどって、この瞬間に重要なことがらを見つけだすための手段は、帆船時代に使っていたものとなんら違いがないのである」(『ワークステーション原典★』ACMプレス編、村井純監訳、浜田俊夫訳、アスキー出版局、1990年)。
★ACM(アメリカ計算機協会)が企画して1986年1月にパロアルトで開かれた「パーソナルワークステーションの歴史」会議には、コンピュータと人とのかかわり方を決めるうえで重要な役割を果たした人々が一堂に会した。ここで行われた講演と質疑応答を原稿化し、歴史的な参考論文を再録した『ワークステーション原典』は、パーソナルコンピュータが引き継いだ技術の源流をたどろうとする者にとって、きわめて示唆に富んだ貴重な資料である。 「パーソナル・ダイナミック・メディア」の共著者であり、この本では編者を務めたアデル・ゴールドバーグは、同書の前書きを「歴史は人が作る物だ」と書き起こしている。その歴史の作り手たちがたどった思考の跡を網羅的にすくい取った本書を、監訳者の村井純氏は「歴史的な知的財産」と評しているが、筆者もまったく同感である。この大部の貴重な資料を日本語で読めることは、じつにありがたい。 ただ専門領域に深く踏み込んだ困難で膨大な翻訳作業を、最終的に誰が取りまとめたかが正しくクレジットされていない点は、「歴史は人が作る」という観点からも、本書の唯一の瑕疵として引っかかる。本書の翻訳にあたったのは、偉大なるロックンロール小説『45回転の夏』の著者であり、アスキー刊行のパーソナルコンピュータの歴史に関するすぐれた著作の訳にこれまでもあたってきた鶴岡雄二氏である。 「文章に関して完全なコントロールを委任されない限り、本名を使用しない」と称する鶴岡(インゴウオヤジ)雄二は、もともと縦組みの読み物とすることを狙ってスタートした『ワークステーション原典』の翻訳プロジェクトが横組みに変更になった時点でへそを曲げ、版元との訳語に対するいくつかの意見の相違に若干のトラブルが重なって完全に切れて、本名を取り下げた。その挙げ句どこから浜田俊夫という名前が出てきたのかといえば、腹立ち紛れに当初筆名は只野義明(〈ただの偽名〉のもじり)としたがさすがにアスキーから拒否され、そのときたまたま読み返していた広瀬正の『マイナス・ゼロ』の主人公の名をぱくってこうしたというのが真相だそうである。 ただし、鶴岡氏がケツをまくってからも、アスキー側は漢字を若干多めに使い、語尾を一部変更したほかは、訳文には基本的に手を加えていない。編集者とのトラブルに関しては、筆者も人のことを言えた義理ではない。だが本書の原稿を準備するためにかなり資料を読み続けた後の今は、「一時の短気のためにわけの分からない人物をひとり歩きさせると、後生の人間が迷惑するぞ」と説教でもくれたい気分である。 |
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