作表機の覇者IBM、電子計算機を押さえる |
世界第2位のコンピュータメーカー
富田倫生
2010/2/19
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など |
DECの創業当時、将来の可能性は感じさせてはいたものの、コンピュータはいまだビジネスの軌道に乗っていなかった。投資会社の意見を入れて事業計画から〈コンピュータ〉という文字を外し、DECは組み合わせによってコンピュータや機器のコントローラーを作ることができる回路モジュールの開発から着手した。
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創業した1957年に100シリーズのモジュールを開発して以来、DECはモジュール製品のラインナップを拡張していった。ある特定の機能を持った回路をひとまとめにしたモジュールは、その後誕生する集積回路の先駆けとしての性格を持っていた。TX-0の後継機としてTX-2の設計にあたったクラークは、オールセンがMIT時代に設計していたモジュールを使うことで素早く作業を終えることができた。
その一方でDECは、自分たちの回路モジュールを組み合わせて、会社設立の本来の目標であった〈道具としてのコンピュータ〉の開発にも着手した。リンカーン研究所でTX-0やTX-2の開発に携わっていたベン・ガーリーが1959年にDECへ移り、プログラム・データ・プロセッサーを略してPDP-1と名付けられるマシンの設計にあたった。
1959年12月にボストンで開かれたジョイントコンピュータ会議において、DECは初のマシンとなるPDP-1のプロトタイプをデモンストレーションする。
ホワールウインドを祖父、TX-0を父とするPDP-1は、兄弟の関係にあるTX-2と同様に、リンカーン研究所で育まれた〈道具としてのパーソナルコンピュータ〉の伝統を引き継いでいた。紙テープを打ち出すタイプライターとブラウン管ディスプレイを備えたPDP-1の本体は、キャビネット3台分ときわめて小さく仕上がっていた。数百万ドルという当時のコンピュータの常識的な価格に対して、PDP-1は12万ドルときわめて安かった。
従来のものと比べ、はるかに小型で低価格だったことから、DECのマシンはミニコンピュータと呼ばれることになった。
使い勝手を重視したミニコンピュータは、まずさまざまな分野の研究者たちから格好の道具として注目を集めた。PDP-1はつごう50台が製造されたが、出荷が始まった直後から、ユーザーである研究者たちは横の連絡をとり合った。彼らはDECUS(Digital Equipment Computer Users Society)と名付けた組織を作り、PDP-1に関する情報と、自分たちが開発したプログラムを共有化しはじめた。DECはつぎつぎと新機種の開発を進め、先進的なユーザーが書きためていったソフトウエアが相互に利用されたことで、大学や研究機関へのミニコンピュータの普及にいっそうの拍車がかかった。
1965年4月から出荷されたPDP-8は、DECの成長に決定的な弾みをつけた。従来の機種ですでに採用してきた枯れた技術で構成した代わり、DECはPDP-8で小型化と低価格化を徹底して推し進めた。1万8000ドルにまで価格を抑えられたこのマシンは、まさにタイプライターのように机の上に置くことができた。これによってPDP-8は、工作機械やプラントの制御という新しいコンピュータの用途を開いていった。
1970年には16ビットのPDP-11シリーズ、1977年には32ビットのVAXシリーズを発表してヒットさせたDECは、その後も急成長の勢いを落とさず、1981年にはついにIBMに続く売上高世界第2位のコンピュータメーカーとなった。
既存の市場では徹底したライバルの押さえ込みに成功してきたIBMは、視野の外にあった超小型市場の開拓をDECに許した。そして1970年代後半、ミニコンピュータのさらに下位に、パーソナルコンピュータの世界が開けつつあった。
IBMを支えてきた枠組みを、再び大きな衝撃が見舞おうとしていた。
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