パロアルト研究所を超えて芽吹く、ダイナブックの種子 |
開発コードネーム「リサ」
富田倫生
2010/3/31
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など |
雑誌に記事を書きはじめてから間もないころ、ラスキンはむき出しの回路基板のままのシステムを作っているアップルコンピュータを名乗る2人組を取材で訪ねたことがあった。
エンジニアライフ コラムニスト募集中! |
あなたも@ITでコラムを書いてみないか 自分のスキル・キャリアの棚卸し、勉強会のレポート、 プロとしてのアドバイス……書くことは無限にある! コードもコラムも書けるエンジニアになりたい挑戦者からの応募、絶賛受付中 |
その2人からも、マニュアルを書いてくれないかとの申し入れがあった。1ページ50ドルで話をまとめたつもりが、スティーブ・ジョブズは全部で50ドルと言い張って譲らないといった行き違いはあった。だが最少の部品で最大の機能を発揮させようと、ほれぼれするようなアイディアを盛り込んだウォズニアックの設計に引かれて、ラスキンは仕事を片付けた。彼らは電源や各種のインターフェイスなど、マシンを動かすのに必要なすべての要素をキーボードと一体化してまとめた次の製品の開発に取りかかっており、ジョブズはラスキンにアップルの2番目の機種用にもマニュアルを書いてほしいと依頼した。
1977年1月にアップルが正式に法人となって間もなく、ラスキンはマニュアルの制作会社ごと同社に移った。アップルの31番目の社員となったラスキンは、ドキュメント部門の部長としてマニュアルを担当することになった。
コンピュータ科学の研究者と教育者という経験を持つラスキンは、自社ブランドで売り出しはじめたアップルII 用のソフトウエアの品質を、マニュアルも含めて高めていくためのセクションの設立を提案し、この仕事に携わるようになった。
アップルの目指すパーソナルコンピュータにとって、アルトの研究成果は大きな意味を持っているとラスキンは考えた。アップルII がまだ開発段階にあった入社間もない時期から、彼はジョブズとウォズニアックにパロアルト研究所を見学するように働きかけていた。だが「大企業の連中が面白いものを考えつくはずはない」と、ジョブズはラスキンのアドバイスに耳を貸そうとしなかった(『マッキントッシュ伝説』所収、ジェフ・ラスキンへのインタビュー)。
アップルII を大成功させたあと、1978年の後半から、同社ではアップルIII の開発作業が始まった。アップルII 同様8ビットの6502を使うものの、フロッピーディスクドライブを本体に組み込み、メモリーの容量や画面の解像度を一回り高めることで、アップルIII は急速に高まりはじめたビジネス分野からの需要に応えることを目指していた。
さらに1979年のはじめからは、アップル内でもう1つのより意欲的な開発計画が動きはじめた。モトローラが開発した新世代のマイクロコンピュータ、68000を使い、ジョブズはまったく新しいパーソナルコンピュータを作りたいと考えた。外部とのやりとりは16ビットで行うものの、内部の処理は32ビット化された68000は、大きなメモリー空間をシンプルに扱える点で際だったパワーを備えていた。誕生当初のワークステーションはこぞって68000を採用したが、アップルもまた発表直後からこのマイクロコンピュータを用いて世代を画するマシンを作ろうと動きはじめていた。
開発コードネームをリサと付けられたマシンは、解像度を大幅に高め、グラフィックスを強化することを狙っていた。だがリサの開発作業は、従来のマシンと決定的に違う何かを設計思想に見いだせないままに進められていた。
このリサの開発計画に携わることになったラスキンはもう一方で、アップルのもう1つの次世代機のアイディアを練っていた。お気に入りのリンゴの名前からマッキントッシュと名付けたプランで、ラスキンはスイスアーミーナイフのように、地味ではあるけれど確実に誰もの役に立つマシンを作りたいと考えた。
モトローラの8ビット・マイクロコンピュータ、6809を使い、小さな筺体にまとめられたマッキントッシュに電源を入れると、画面には白紙のような表示が出る。ここでキーボードから文字を入れていけば、そのままワードプロセッサーとして使うことができる。加減乗除の記号をはさんで数字を入力し、リターンキーを押せば、計算の結果が表示される。
こうした限られた機能に徹したマッキントッシュを、ラスキンは1000ドル以下の安い価格で提供したいと考えた。アルトの方向付けを評価していたラスキンは、マッキントッシュにもグラフィックスの強みを与え、メニューを採用したいと考えた。ただし電卓とタイプライターの延長程度に機能を限ろうと考えていたこのマシンでは、ポインティングディバイスは使わず、キーボードだけで操作できる形を想定していた★。
★『マッキントッシュ伝説』所収、ジェフ・ラスキンへのインタビューによれば、当初想定されたマッキントッシュでは、256×256ドットの白黒ビットマップディスプレイ上でプロポーショナルフォントを使うことが想定されていた。画面に表示した機能メニューをキーボードから選ぶ、マルチプランに採用された形式のインターフェイスを用い、ベーシックの搭載も予定されていた。アップルを退社した後、キヤノンに協力してラスキンが開発したキャットというマシンは、オリジナルのマッキントッシュのプランに沿ったものである。 |
» @IT自分戦略研究所 トップページへ |
@IT自分戦略研究所は2014年2月、@ITのフォーラムになりました。
現在ご覧いただいている記事は、既掲載記事をアーカイブ化したものです。新着記事は、 新しくなったトップページよりご覧ください。
これからも、@IT自分戦略研究所をよろしくお願いいたします。