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パソコン創世記
第2部 第4章 PC-9801に誰が魂を吹き込むか
1982 悪夢の迷宮、互換ベーシックの開発

PC-9801の誕生

富田倫生
2010/5/7

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

過去を継ぐもの
PC-9801の誕生

 PC-9801の発表の翌日、製品計画ワーキンググループのチーフを務めた小澤昇は、地味なスーツとネクタイがむしろ浮き上がって見える南青山のしゃれた通りを、マシンを収めた大きな段ボール箱を抱えて歩いていた。

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 地図を頼りに目指したのは、雑誌『ASCII』の編集部だった。

 浜田俊三はPC-9801の発表を前にして、マスコミへの対応というあらたな役割を小澤に指示した。新しいマシンの素晴らしさを最大の説得力をもって訴えることができるのは、企画にあたった当の本人だろう。それも関連の雑誌や新聞からの問い合わせを待つのではなく、こちらから説明に出向けと指示されて、発表の翌日、小澤がまず訪ねたのがこれまでまったく面識のなかった『ASCII』だった。

 対応には編集部の渡部信彦が出た。

 やせぎすで口ひげをたたえた渡部は間違いなく若くはあったのだろうが、眼鏡の奥にたたえた眼差しには小澤をすくませるような鋭い色があった。一方、ネクタイにスーツで編集部に飛び込んできた小澤は、この世界に棲む渡部にとっては得体の知れない闖入者(ちんにゅうしゃ)だった。資料を開いてPC-9801の説明を始めると、しばらくはスペックに目を走らせていた渡部が、「動かしてみましょうか」と小澤をさえぎり、段ボールから取り出したマシンにモニターをつなぎはじめた。

 手早く接続を終えて電源を入れ、ベーシックが立ち上がると、渡部は勢いよくプログラムを叩き込みはじめた。ある特定の処理をマシンが何秒で終えるかを目安に性能を判定する、ベンチマークテスト用のプログラムだったのだろう。何本かプログラムを入れなおしてはそのたびごとに処理に要した時間をメモしていた渡部は、腰を浮かせるたびに少しずつ浅くかけなおしていった。

 「速いですね」

 振り返って背中からのぞき込んでいる小澤と視線を交わした渡部は、この日初めてにこやかな表情を浮かべた。

 小澤はあらためてIBM PCやマルチ16が採用した8088ではなく、純粋な16ビットの8086を採用したことと、グラフィックスの処理を高速化するGDCを搭載したことの効果を強調しようと身構えた。だが一瞬小澤ににこやかな視線を投げた渡部はすぐさまPC-9801に向き直り、集まってきた編集部の長髪族と今度はマシンの分解に取りかかった。

 これまで小澤が生きてきたオフィスコンピュータの世界では、マシンはユーザーにとっても業界誌や新聞の記者にとっても、完全なブラックボックスだった。彼らが関心を持ったのは、価格であり、アプリケーションの品揃えであり、メンテナンスの面倒見であり、せいぜいが使い勝手と外側から見た限りでの機能だった。マシンの内側は、完全にメーカーの領分だった。だが手作りシステムや組み立てキットからスタートしたこの世界には、パーソナルコンピュータが実用の道具となりはじめたこの時期にいたってもなお、マシンをブラックボックスとして放置しない気概が息づいていた。ベーシックという1つの言語を標準的に共有し、しかもほとんどが同じマイクロソフトのものを採用しているこの環境では、使う側が異なったメーカーのマシンの性能を1つの物差しで比べることが可能だった。

 PCサブグループからの注文から、パーソナルコンピュータを包む空気が異なったにおいにみたされていることを、小澤はこれまでも間接的には感じとってきた。だが直接新しい世界に飛び込んではじめて出会った『ASCII』の編集者たちは、あらためて情報処理事業グループが異なった文化圏に足を踏み入れたことを小澤に痛感させた。

 『ASCII』には、新機種を徹底的に解剖して紹介するロードテストと名付けた連載があった。読者の人気を集めているこのページでどう評価されるかは、小澤にとって大きな気がかりだった。

 ロードテストでPC-9801を取り上げる際は、マシンの貸し出しや浜田俊三へのインタビューなど、全面的に協力させてもらいたいと小澤は渡部に申し出た。だがいざ掲載が本決まりになり、渡部から「PC-9801を構成している部品を半導体の1個1個からビス1本にいたるまで、すべて工場から一式取り寄せてほしい」と要求されたときは、彼らの徹底した細部へのこだわりと、人を人と思わない過大な要求にほとほとあきれさせられた。


 『ASCII』の渡部信彦は、9月いっぱいをかけたテストの結果にもとづいて、マルチ16のロードテストの記事をまとめている最中に、小澤の訪問を受けた。

 渡部自身にとっても初めて使い込む16ビット機となったマルチ16には、「8ビットからのジャンプによって確実に世代を画したマシン」との印象があった。より大きなメモリーを取り扱うことができ、処理を高速化できるという8088のメリットを生かし、マルチ16では最大で576Kバイトまでメモリーの拡張が可能となり、各種のベンチマークの結果にも確実に16ビット化の成果が表われていた。

 この16ビット機のターゲットを、三菱電機はビジネス市場に絞り込んでいた。5インチのディスクドライブを標準で組み込み、本線に据えたCP/M-86の上には8ビットで人気を集めていたCP/Mのアプリケーションに加えて、三菱電機自らが事務処理や技術計算用のさまざまなプログラムを用意していた。

 唯一渡部に抵抗があったのは、キーボードからディスプレイ、ディスクドライブにいたるまですべてを一体化したマルチ16のどでかさだった。これまでパーソナルコンピュータを見てきた渡部には、マルチ16のサイズは個人の道具の限界からはみ出しているように思えた。

 最小構成で73万円、本格的に日本語を使うとなると150万円を超える価格も、個人の道具の枠にはおさまっていなかった。ただし、80年代のOA市場でしのぎを削ることになるオフィスコンピュータと比較すれば、マルチ16はそれでも圧倒的に小型、安価であり、充分対抗しうる性能を備えていると思えた。渡部がこれまで親しんできたパーソナルコンピュータとは目指す世界を異にするものの、マルチ16は確実な競争力を備えた小規模ビジネス用のコンピュータだった。

 一方小澤が持ち込んできたPC-9801は、これまでのパーソナルコンピュータの進化の道筋に沿ったまま、16ビット化によって一歩階段を上ったマシンだった。オフィスコンピュータのライバルというよりはむしろ、「速いPC-8801」がこのマシンの本質に思えた。

 価格はPC-8801の22万8000円に対して29万8000円。PC-8801やPC-8001と互換性を持ったベーシックを備え、これまでのアプリケーションをより速く動かせるほか、周辺機器も従来のものを引き継ぐことができた。マルチ16が標準で持っていたディスクドライブはオプションにまわされていたが、PC-8801を引き継いだスタイルには違和感がなかった。

 しかも各社のマシンを集めてベンチマークを行ってみると、16ビット機としては思い切って低めの価格設定を行ったPC-9801が、居並ぶマシンの中でも抜群の数値を叩き出した。特にGDCを生かしたグラフィックスの処理速度に関しては、PC-9801は他を圧していた。しかも自社の8ビット機用に書かれたベーシックのプログラムを、16ビット環境で高速で走らせることができたのは、唯一PC-9801だけだった。

 富士通のFM-11は、ベンチマークで唯一PC-9801と肩を並べる高速のマシンだった。だが8ビットからのプログラムの継承に関して、FM-11はPC-9801のようなシンプルな解決策を提供できてはいなかった。

 8ビットではモトローラの68系を採用した富士通は、インテルの8088を採用したFM-11に16ビットの互換ベーシックを持たせることができなかった。代わってFM-11は、16ビットの8088と8ビットの68B09Eという2つのCPUを本体に組み込むことで、継承性の問題をすり抜けようとした。高速のFM-11も、従来のベーシックのプログラムを動かすときは、もう1つのCPUを使って8ビット機として動いた。PC-9801以外のほとんどのマシンは16ビット用にはGWベーシックを採用し、8ビットのプログラムを生かすという観点では、変換用のプログラムを通して修正して使ってもらうという形をとっていた。

 マシンそのものの性能に加えて、情報処理事業グループのPC-9801にかける強い意気込みを渡部があらためて感じとったのは、ロードテストの特集に際して小澤が見せた熱意だった。PC-9801に使われているパーツを1つ残らず工場から取り寄せてほしいと注文はしたものの、本当にネジ1本にいたるすべての部品が編集部に送られてくるとは、正直渡部は予測していなかった。

 『ASCII』の目玉記事であるロードテストを渡部は長く担当し続けたが、「すべての部品を取り寄せろ」との無理難題に応えたのは、最初で最後、唯一小澤のみだった。

 送り届けられたすべてのパーツを分類した写真で特集の最後の見開きを飾ったあと、渡部は1ページ用意した総合評価欄で、「8ビットマシンの限界がPC-8801だとすればPC-9801は16ビットのマシンのスタートラインを確かに通過した存在である」と位置づけた。

 「PC-8001、PC-8801とのBASICレベルでのコンパチビリティーも大きなメリットの1つとなるだろう。PC-8001からPC-8801、さらにPC-9801とシステムをグレードアップしているユーザーが多いのもこういった理由による物であろう。システムをグレードアップする場合、従来のソフトウエアが継承できるということにより、ユーザーは安心してシステムを導入でき、また、将来新しいシステムが発売されても容易にシステム移行が可能となる」(『ASCII』1983年4月号)

 そう書いた時点で、渡部はPC-9801の成功に確信を抱きはじめていた。

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