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パソコン創世記
第2部 第5章 人ひとりのコンピュータは大型の亜流にあらず
1980 もう1人の電子少年の復活

アップルコンピュータの誕生

富田倫生
2010/6/1

前回「ソフトウェアの空白を埋める共棲」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

美意識の追求をビジネスに変えた
もう1人のスティーブ

 ホームブルー・コンピュータ・クラブでマイクロコンピュータに目を開き、ウォーレンの求めに応えて6502用の整数ベーシックを書いたスティーブ・ウォズニアックは、共棲を目指した輪の中で自らの美意識に忠実に沿うことに喜びを見いだしてマシンを育てていった。

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 一方、ウォズニアックのブルーボックスを売り物に変えたスティーブ・ジョブズは、彼の基板をもう一度商品に仕立てようと考えた。非合法のブルーボックスはこっそりと売って回るしかなかったが、コンピュータの基板なら誰にはばかることなく売りさばくことができる。

 ジョブズ自身は、クラブの活発なメンバーたちの技術論議には加わらなかったが、それでも何度か集会には顔を出していた。個人のためのコンピュータに、ジョブズは大人たちの手垢のついていない、純白の可能性のにおいをかいだ。ジョブズにとって、ウォズニアックの作り上げた基板は、個人のマシンに向けて吹きはじめた風に高くかかげるべき、絶好の帆に感じられた。

 1976年のはじめ、ジョブズは当惑するウォズニアックを説得して、基板を売るビジネスに共同で取り組むことを納得させた。

 ジョブズの提案を「ためしに2、3枚基板を売ってみよう」程度に受け取っていたウォズニアックには、愛着を感じているHPをやめようなどという気持ちはさらさらなかった。ジョブズにしても、アタリをやめてすぐにこの商売に専念できるとは考えてもみなかった。だが一応、会社らしき体裁は整えておこうと考え、ジョブズがアップルコンピュータ★という名前を提案した。

 ★同時代に生きた者にはまったく言うまでもないことながら、時のやすりの恐ろしい効果を恐れて一言いい添えれば、当時「アップル」と聞いてビートルズの設立したレコード会社を思い浮かべずにおくことはほとんど不可能だった。もしも友人がアップルという名前で何かの会社を始めたとすれば、ビートルズが望んだのと同じような自分たちの拠点を作りたかったのだろうと、誰もが即座にそう了解したはずである。

 これによって、彼らの基板はアップルI と名付けられることになった。

 ウォズニアックの最初のマシンは、部品を1つ1つ導線で結んで作られていた。ジョブズはまず、アップルI の配線をパターンとして表面に焼き込んだプリント基板を起こし、この基板だけを売るところからビジネスをスタートさせようと考えた。

 ウォズニアックのマシンに興味を持ち、自分でも組み立ててみたいと考えた人間は、彼のくれた設計図を頼りに部品を基板上に並べ、一から配線していかざるをえなかった。だがあらかじめ配線が焼き込んであるプリント基板があれば、あとは指示された部品を所定の位置に差し込んではんだ付けすればすむ。設計図を基板上に移し替えた格好のプリント基板は、クラブでウォズニアックのマシンに興味を持っている連中に受けるだろうとジョブズは考えた。さらにアップルI 用のプリント基板と必要な部品を組み合わせ、アルテアのような組み立てキットにする手もあった。

 ジョブズはプリント基板の製作費をざっと25ドルとはじき出した。50ドルの値段で100枚は売れるに違いないとウォズニアックに断言し、総製作費の約半額にあたる1300ドルずつを持ち寄って、話を進めることにした。HPでまともな給料を取ってはいたものの、コンピュータ用の部品とレコードに金をつぎ込んでいたウォズニアックは、持っていたプログラム電卓のHP65を売り払って出資分を作り、ジョブズはフォルクスワーゲンを売った。

 だがアタリで使っていた業者に実際にプリント基板の作成を依頼する時期になっても、アップルI のビジネスに対する2人の熱意の温度差は、かけ離れたままだった。

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