第2部 第6章 魂の兄弟、日電版アルト開発計画に集う |
1983 PC-100の早すぎた誕生と死 |
JXの大惨敗と、捨て身のDOS/Vという選択
富田倫生
2010/8/24
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など |
JXの発表を前にして、日本IBMはサードパーティーに強力な働きかけを行い、アプリケーションの確保に努めていた。だがPC-9801よりはむしろPC-8801を叩くべく送り出されたJXは、16ビット化の大きな波に呑まれて大惨敗を喫した。
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1984(昭和59)年8月にアメリカ市場でXTの上位機種として発表されたATは、マイクロコンピュータに80286を採用し、グラフィックスやバスの機能を大幅に強化して、その後長く生き続ける標準アーキテクチャを確立するマシンとなった。
このATをベースに日本語機能を付け加えたマシンを開発し、世界のアプリケーションと増設ボード、周辺機器の資産を背景にPC-9801に対抗していくというシナリオは、日本IBMにとってじつに素直な選択肢となりえたはずだった。
だがJXの惨敗は、日本IBMの手を完全に縮こまらせた。
PCの日本語化は、世界市場でPC互換のラップトップを成功させた東芝の逆輸入版J-3100や、マイクロソフトの日本法人がリーダーシップをとったAXと名付けられたプロジェクトによって側面から進められることになった。
日本IBMがATの日本語化という最後の希望にかけて攻勢に転ずるのは、じつに1990(平成2)年の10月にまでずれ込んだ。
同月、新機種用としてマシンと同時に発表された日本語DOS4.0/Vと名付けられたMS-DOSの新バージョンは、特別な日本語化のためのハードウェアを必要とせず、ソフトウェアによってのみ日本語機能を実現する形をとっていた。漢字や仮名をテキストモードでコードとして扱う代わり、グラフィックスとして扱うという、かつてPC-100が採用した方法をとったDOS/Vは、世界中に広く普及したATとその互換機をまるごと日本語マシンに変身させる道を開いた。
だがソフトウェアだけでATを日本語化するという道を選ぶことは、日本IBMにとっても容易な選択ではなかった。
コンパックをはじめとする互換機メーカーの攻勢にさらされたIBMは、1987年4月には従来のPCのアーキテクチャをごく一部のマシンを除いて切り捨て、特許によって保護したMCA(マイクロ・チャネル・アーキテクチャ)と名付けた新しい体系への転換を図って互換機陣営を振り切ろうと考えた。
IBM全社の製品構成との関連を考慮せず、独立した遊軍的な組織によって短期間に仕立て上げられたPCへの反省を踏まえ、PS/2と名付けられた新しい製品には、メインフレームを頂点とする階層構造の中で、長く育てながら使い続けることを前提とした先進的な技術が盛り込まれていた。
だがアルテアが生まれて以来、パーソナルコンピュータの発展にとって欠かすことのできない条件として機能してきたオープンアーキテクチャに背を向けたPS/2は、IBMが期待したほどの成果を上げることができなかった。IBMが切り捨てたあとも、ATは業界の標準アーキテクチャとして生き続けた。マイクロコンピュータや周辺機器の高速化、グラフィックス処理に対する要求の増大といったその後焦点化する課題に応えるうえで、ATはさまざまな技術的問題点を抱えていた。それでもパーソナルコンピュータ産業の基調は、ATをベースに新しい改良技術を盛り込むという路線にとどまり続けた。
そのIBMの子会社である日本IBMにとって、DOS/Vはけっして快適な選択ではありえなかった。
IBMがいったんは決別したはずのATに舞い戻り、しかもこの土俵を捨てる大きな要因となった互換機勢力と手を組んで日本市場に突破口を開こうとするDOS/Vは、痛みを伴う決断を日本IBMに求めた。たとえこの戦略が成功を収めたとしても、長期的に見ればPCで互換機勢力に挑まれたと同様の厳しい競争が先に待っていることも目に見えていた。
だがPC-9801の市場支配は、日本IBMに捨て身のDOS/Vを選択させるほど圧倒的だった。
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