第6回 超並列コンピュータからデジタルTVへ
脇英世
2009/2/9
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
クレイグ・マンディ(Craig Mundie)――
マイクロソフト上級副社長
ビル・ゲイツの著書『The Road Ahead』(邦題『ビル・ゲイツ未来を語る』、西和彦訳、アスキー)の第3章の終わりで、ビル・ゲイツは奇妙なことをいっている。「近年、マイクロソフトは会社を倒産させた経験のある経営幹部を意図的に何人か採用している。会社が倒産しつつあるときには夜も昼もものごとを深く掘り下げて考え、創造的にならざるを得ない。私はそうした経験のある人々に私の周辺にいてほしいと思う。マイクロソフトも将来必ず失敗する運命にある。私は困難な状況でも立派にやれる人が欲しいのだ」(訳文筆者)。
これを読んだときにずいぶん奇妙なことをいうものだと思った。普通の考え方なら、失敗しないように有能な経営幹部を雇うのに、ビル・ゲイツは失敗した経験のある経営幹部を雇うという。一体そういう経営幹部って誰なんだろう? しかも複数いるらしい。本当に実在する人物なんだろうかと思った。
『マイクロソフト・ウェイ』(ランダル・ストロス著、小舘光正訳、ソフトバンク)という本を読んで、その1人がどうもクレイグ・マンディであるらしいことに気が付いた。
クレイグ・マンディはデータ・ジェネラルに勤めた後、マック・アンドリューとともに1982年アライアント・コンピュータを設立し、最高経営責任者となった。アライアント・コンピュータはスーパーコンピュータの分野に参入し、超並列コンピュータを手掛けたが、資金繰りに行き詰まって、1992年に倒産した。
アライアントの最初の並列コンピュータは1985年に出た。第1世代の製品はFX1、FX4、FX8であり、これに続く第2世代のFX/40、FX/80、VFXが成功を収めた。1980年代の終わりにはFX/2800を出した。これはi860を使用していた。1991年に発表されたCAMPUS/800は25個のi860を使用していた。アライアントは650台以上の超並列コンピュータを出荷している。このうちのかなりの台数が現在も稼働しているらしい。技術的には定評があった。
1992年、マイクロソフトのビル・ゲイツとネイサン・ミアボルドはインタラクティブTV(対話型TV)のソフトウェア開発責任者を探していた。クレイグ・マンディを見つけてきたのは多分ネイサン・ミアボルドだろう。ネイサン・ミアボルドはクレイグ・マンディが超並列コンピュータに精通していることが気に入った。なぜならマイクロソフトはインタラクティブTVやVOD(ビデオオンデマンド)の分野に参入しようとしていたが、この分野への参入には超並列コンピュータやスーパーコンピュータの経験が絶対に必要だと考えていたからである。例えば、マイクロソフトより先にインタラクティブTVやVOD分野に乗り出していたオラクルはスーパーコンピュータ、エヌキューブ(nCube)を持っていた。
ネイサン・ミアボルドがクレイグ・マンディに魅力を感じたのは、クレイグ・マンディがアライアント・コンピュータの最高経営責任者でありながら、自ら手を汚すことを嫌わず、コンピュータショップで部品を買い集め、日曜大工でコンピュータの組み立てを楽しんだりしていたからである。
また、ビル・ゲイツがクレイグ・マンディにほれ込んだのは、クレイグ・マンディがアライアント・コンピュータの最高経営責任者の経験があるにもかかわらず、マイクロソフトではインタラクティブTVグループの責任者である上級副社長として、ゲイツとミアボルドの下につくことに甘んじたからである。ビル・ゲイツがいかにクレイグ・マンディを気に入っていたかは、1995年のビル・ゲイツの言葉で分かる。
「彼(クレイグ・マンディ)のような人なら、もう10人雇いたい」
さまつなことではあるが、押し出しの立派な風貌をしていることもクレイグ・マンディに有利に作用しているのではないかと思うことがある。マイクロソフトの幹部は、大体が子どものような顔つきをしている場合が多い。そこで若さや幼さを隠すため、ひげもじゃのヒッピーのような風体をしている人も多い。だが、そういう姑息(こそく)な手段に頼らなくとも、若くして風格のある容貌をしていることは貴重である。かつてマイクロソフトの副社長スティーブ・バルマーはそれが存在価値であった。
クレイグ・マンディはフットボールで鳴らしたことがあり、フットボール選手のような体格をしている。声はドスの利いた低音である。インターネットでリアル・オーディオを使用して彼の肉声を聞くことができるが、長く聞いていると眠くなってしまう。
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
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