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IT業界の開拓者たち

第6回 超並列コンピュータからデジタルTVへ

脇英世
2009/2/9

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 1994年3月、マイクロソフトはビデオサーバ「タイガー」を発表する。1992年以来、この仕事はクレイグ・マンディに割り当てられていた。このあたりの話はジョージ・ギルダーのエッセイ『The Bandwidth Tidal Wave』に詳しい。インターネットで検索すれば簡単に入手できる。

 クレイグ・マンディは超並列コンピュータの経験から、最初ジョージ・スピックスをはじめとするSSIの設計チームを雇った。クレイグ・マンディはビデオサーバ開発のソリューションとしてハードウェアのソリューションを選んだのである。SSIはスーパーコンピュータで有名なクレイ・コンピュータの流れをくむIBMのための設計チームであったが、結局IBMはSSIを捨てた。SSIのチームはかなり優れたビデオサーバを設計したが、マイクロソフトの気に入るものにはならなかった。マイクロソフトはソフトウェア会社であり、ハードウェア会社ではない。マイクロソフトの欲しいソリューションはソフトウェアによるソリューションだったのである。

 そこへカーネギー・メロン大学でUNIXのマーク(Mach)カーネルを開発して有名になり、これまたネイサン・ミアボルドにマイクロソフトに引き抜かれたリック・ラシッドが口を出した。ビデオサーバはソフトウェアだけで実現できるというのである。リック・ラシッドのアイデアは比較的単純で、安価なハードディスクを集めた大規模外部装置であるRAIDをモデルにしていたようだ。低速なディスクドライブアレイにデータをストリップ状に書き込めば十分実用になるとした。このストリップが虎の縞に例えられるのでタイガーという暗号名が付いた。

 常識的にはビデオサーバは高速プロセッサ、高速メモリ、フォールトトレラント性の高い大容量磁気記憶装置が必要であるが、リック・ラシッドはそういうものは何もいらないという。さらにビデオサーバのOSにはウィンドウズNTが向いているとした。ここまで奇をてらえば結果は明らかである。

 マイクロソフトがタイガーの実験を公開したのはシアトルにある本社の9号棟だったらしいが、そこには12台のモニタ、STB(セット・トップ・ボックス)につながれた12台のコンパックのパソコン、シーゲートのディスクドライブ「バラクーダ」の山、さらにビデオサーバとしてコンパックのパソコンがあった。ずいぶん無謀なことをするものである。デモはともかく、ビデオサーバ「タイガー」は成功しなかった。

 原因は明らかなように思われる。ソフトウェア帝国主義に毒されていたのである。ハードウェアでしかできないことと、ソフトウェアにできることの切り分けが分かっていない。しばらく鳴りをひそめていたクレイグ・マンディは、1996年4月6日NAB(全米放送事業者協会)において、マイクロソフトのデジタル放送戦略の発表に姿を現す。これはデジタル放送に関するマイクロソフトのビジョンを発表したものである。

 この発表を一層劇的なものにしたのは、マイクロソフトによる4億2500万ドル(当時500億円近い)でのウェブTVネットワーク買収である。ウェブTVは元アップル出身の3人の男によって設立された。インターネットとTV放送の結合を実現していた。

 ウェブTVはウェブTVリファレンス設計仕様を設定し、ソニー・エレクトロニクス、フィリップス・コンシューマ・エレクトロニクスにウェブTV用のセット・トップ・ボックスを作らせている。ウェブTVは多くの特許を保有しており、マイクロソフトによるウェブTVの買収は、この特許の入手が目的だったという。

 また、インターネットエクスプローラ 4.0(IE 4.0)のベータ版の発表は3月17日といわれていたが、クレイグ・マンディ副社長の発表に合わせてこの日に延期した。IE4.0はデスクトップのエクスプローラとインターネットのエクスプローラを合体するだけでなく、デジタル放送機能を盛り込んだ最初の製品だったからである。マイクロソフトは今後、放送とコンピューティングの融合を目指すことになる。デジタル放送機能は、IE 4.0、ウィンドウズ98(コードネーム=メンフィス)、ウィンドウズ NT 5.0(開発コードネーム=カイロ)、ウィンドウズCEに取り込まれる。さらにマイクロソフトはインテル、コンパックとともにデジタルTVの標準を設定しようとしている。

 デジタル放送機能はいくつかの要素から成立しているが、ポイントキャストのプッシュ技術の取り込みが大きな要素である。

 またマイクロソフトはクレイグ・マンディのスピーチをネットショー2.0を使って全世界に向けて放送した。ネットショー2.0はMPEG-4の標準制定を待たずに低ビットレートでの動画像伝送を先行搭載した。またドルビーAC-3対応でMPEGレイヤー3オーディオをサポートした。

 クレイグ・マンディはネイサン・ミアボルドの部下として、デジタルTV系の先進技術に必ず顔を現す。マイクロソフトは失敗も多いが、資金的には潤沢であり、1996年6月にはCATVに1000億円の資金を投入することを発表した。マイクロソフトの狙いは多少エキセントリックな気がするが、膨大な資金力のポテンシャルは無視できない。

■補足

 クレイグ・マンディの手掛けた事業はほとんど失敗に終わっている。2002年に入ってからのマンディは、OSS(オープン・ソース・ソフトウェア)との対決に力を注いでいる。1月に出した『信頼できるコンピューティング』が有名だが、それほど説得力のある理論ではないようだ。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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