自分戦略研究所 | 自分戦略研究室 | キャリア実現研究室 | スキル創造研究室 | コミュニティ活動支援室 | エンジニアライフ | ITトレメ | 転職サーチ | 派遣Plus |

IT業界の開拓者たち

第19回 ラジオシャックチェーンを組織した男

脇英世
2009/3/2

前のページ1 2

 TRS-80モデルIはそれほど強力ではなかったが、TRS-80モデルIIはかなり強力であった。当初、外部記憶メディアはカセットテープであったが、その後はフロッピーディスクへと移行している。TRS-80は比較的ソフトウェアを重視しており、IBM PCが登場するまでは一番本格的なパソコンだったのではなかったか、と個人的には思う。BASICはもちろんのこと、FORTRANやCOBOLなど各種のコンパイラが動作したのには驚いたものである。アップルII、コモドールCBM3032、そしてタンディTRS-80はパソコン御三家を形成し、1981年にIBMが本格的なIBM PCをひっさげて参入してくるまでは、非常に強い力を誇った。IBMの参入後は、次第にタンディのパソコン事業が苦しくなる。

 ラジオシャックはその名のとおり、全国展開のアマチュア無線チェーンであり、強力な販売網とサービス網を持っていた。それだけに巨大な展開を見せたが、パソコン事業が次第に本格化していく中で、パソコン専業チェーンとして存続するか、それとも町の家電チェーンとして存続するかの決断があいまいであった。結局、タンディはパソコン専業チェーンには踏み切れなかった。またタンディは、タンディというブランド名だけでなく、ラジオシャックというブランド名も使っていたため、当時から混乱のもととなっていた。ちなみに、まだタンディ皮革会社は存続している。

 1983年3月、タンディはTRS-80モデル100を売り出した。NEC PC-8201を元にしたマシンであり、さらにいえば実は京セラ製だった。米国仕様のTRS-80モデル100は、日本仕様とモデム周りなどが少し異なっている。CPUはi80 c85で、24KBのRAMを持ち、モデムとRS-232Cインターフェイスを内蔵していた。セントロニクスポートが1つで、表示部のLCDは40字×8行の文字表示、もしくは240×64ドットのグラフィックスしか表示できなかった。搭載されたマイクロソフトBASICはビル・ゲイツが書いたものとしては最後のBASICである。TRS-80モデル100は、CPUがZ80より古いi80 c85で、表示部も40字×8行のLCDであったにもかかわらず売れた。それも爆発的に売れた。まったく意外だったが、成功の要因は、使いやすい音響カップラーを利用したモデム機能の搭載にあったと思う。当時、米国の記者のほとんどが使っていたように記憶している。TRS-80モデル100は、モバイルコンピュータとして、もっとも成功したマシンの1つといえるだろう。

 1984年、ついにタンディはIBM PC互換機の製造を決定した。すでに独自アーキテクチャでは売れなくなってきており、利益をあげるためには、何としてでもIBM PC互換機でなければならなかったのである。その結果として、タンディ1000を投入してきたが、これはほとんど人気が出なかった。続いて1987年、タンディはGRiD(グリッド)を買収した。GRiDとは、1982年に史上初のラップトップコンピュータであるGRiDコンパスを発売した会社として知られている。その後、東芝がGRiDコンパスによく似たラップトップコンピュータを販売したため、首位の座を追い落とされてしまった。GRiDの買収は、タンディに、それほどメリットを与えなかったようだ。そして、1993年にタンディはIBM PC/AT互換機の製造工場をASTに売却した。この時点でタンディは、ほぼパソコン事業から手を引いたと考えていいだろう。

 パソコンから撤退した後のラジオシャックは、CB無線をはじめ、オーディオ、電話機、ソフトウェアなどにうまく転進した。チャールズ・タンディ亡き後、1981年からタンディの最高経営責任者の地位に就いたジョン・ローチは、なんとかラジオシャックに依存した体制から脱却しようと事業の多角化を試みたが、結局はうまくいかなかった。1993年には、ジョン・ローチが外部から探してきたレオナルド・ロバーツがラジオシャックの社長を務め、1995年にはタンディの社長に就任した。さらに1999年には、最高経営責任者兼会長となっている。

 父デイブ・タンディとその息子チャールズは、1919年から1978年まで親子2代にわたってタンディを支配した。その後も1997年までチャールズ・タンディの女婿であるジェッセ・アプチャーチが取締役会に名を連ねていたが、1997年にその地位を追われており、タンディ家の支配は完全に終了している。

 最近でもっとも驚くべきニュースは、2000年5月18日にタンディ社が正式にラジオシャック社へと社名変更したことである。これによりタンディ家の色彩が払拭されたのに加え、またしても買収された企業の名前が、買収した企業の名前になったわけである。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

前のページ1 2


» @IT自分戦略研究所 トップページへ

自分戦略研究所、フォーラム化のお知らせ

@IT自分戦略研究所は2014年2月、@ITのフォーラムになりました。

現在ご覧いただいている記事は、既掲載記事をアーカイブ化したものです。新着記事は、 新しくなったトップページよりご覧ください。

これからも、@IT自分戦略研究所をよろしくお願いいたします。