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IT業界の開拓者たち

第20回 モトローラ王朝の創始者

脇英世
2009/3/3

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 1940年になると、ガルビン製造会社は軍用通信機の分野に乗り出し、陸軍信号部隊向けにハンディ・トーキーという携帯型の双方向AM無線機を開発した。また翌年には、双方向FM無線機の開発に乗り出している。1942年、太平洋戦争が勃発すると、軍用通信機に注力した。1943年には背負い型の双方向FM無線機ウォーキー・トーキーを出荷する。ハンディ・トーキーとウォーキー・トーキーは、欧州戦線と太平洋戦線で大活躍した。戦争映画に必ず登場するのが、この2つのモトローラ製無線機である。このあたりから、無線機に関するモトローラの神話が生まれたと予想される。この年、ガルビン製造会社は株式を上場している。モトローラと社名変更をするのは、1947年である。理由は、ガルビン製造会社という社名があまり知られていないにもかかわらず、モトローラという商品名は広く認知されていたからである。

 戦後、軍用通信機の市場が縮小すると、次の市場を探し求める必要が出てきた。そこで、モトローラは、最大の自動車会社GMの自動車用ラジオを独占し、フォードとクライスラーにも触手を伸ばした。1948年には、テレビ市場にも参入する。これは25年間続いたが、あまりうまくいかず、結局1974年に敗退した。モトローラはテレビの生産設備を、松下電器に売却することになる。

 モトローラが成功したのは、半導体市場においてであった。1952年にパワー・トランジスタを製造し、1956年には自動車用ラジオに半導体を組み込んだ。また、ページャー(ポケベル)に半導体を組み込んでいる。得意の自動車と無線に、半導体を組み合わせたのである。

 1956年、ポール・ガルビンはモトローラの会長に就任し、息子のロバート・ガルビンが社長となった。28年間も社長職を務めている。

 さて、1960年代に入ると、モトローラは米国の宇宙探査計画に参入した。金星へのマリーナIIやマリーナIVはモトローラ製の通信機を搭載していた。アームストロングの乗った月面探査機も同様だった。1976年には火星探査機のバイキング2号がモトローラ製通信機を採用している。こうした宇宙での経験が、後年のイリジウム計画などの下敷きとなったのだろう。

 1974年、モトローラはMC6800を出荷する。また、1979年には16ビットCPUのMC68000をリリースしている。モトローラのマイクロプロセッサは性能的には優秀だったが、インテル製マイクロプロセッサに対しては劣勢であった。純技術的には、モトローラはライバルであるインテルを凌いでいたといわれている。違いはマーケティングとマイクロプロセッサにだけ賭けるという意気込みであったと思われる。1980年代のモトローラは、CPUに注力するか、それとも電話にするかで迷いがあったように思われる。モトローラはMC68000系列を発展させていたが、一方でセルラー電話のシステム開発を続けていたのだ。ちなみに、このシステムは成功した。

 モトローラの事業は広がり過ぎたので、事業の適切な切り捨ても行なわれ、1987年には自動車用ラジオ事業から撤退した。ただし、自動車用のマイクロプロセッサをはじめとするエレクトロニクスには、ますます熱心に取り組んでいる。

 モトローラのマイクロプロセッサは組み込み型になりつつある。日本で組み込み型といえば自動車用であるが、米国では軍用である。爆撃機B-1がMC68000、巡航ミサイルを塔載したイージス艦や艦載攻撃機F18ホーネットが、MC68020を採用しているといわれている。民生分野では勝ち目はないが、軍用分野でモトローラは強い。

 ただし最近、モトローラの事業はワイヤレス通信やイリジウムなどのように、衛星通信の方が優勢になった。通信という硬い言葉より、電話といった方が分かりやすいかもしれない。パソコンユーザー以外の若者に聞けば、多分モトローラは電話会社だと思っている人が多いのではないかと思う。

 モトローラはガルビン王朝を形成している。モトローラ王朝初代のポール・ガルビンは、1928年から1956年まで28年間モトローラの社長を務め、モトローラを支配した。二代目のロバート・ガルビンは1940年にモトローラに入社し、1956年に社長に就任した。1964年、ロバート・ガルビンは会長になったが、1990年まで最高経営責任者であった。現在76歳であるが、実に34年間モトローラの実権を握ってきたのである。

 現在のモトローラの最高経営責任者は、モトローラ王朝3代目のクリストファー・ガルビンである。49歳で、自社の350万株を持っている。

 乗っ取り、買収が横行する米国で、3代続いて会社を経営しているのは珍しい。IBMのワトソン家が2代で、ケネディ家も2代しか続かなかった。3代というのは、なかなかのものである。したたかな経営者なのだろう。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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