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IT業界の開拓者たち

第20回 モトローラ王朝の創始者

脇英世
2009/3/3

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

ポール・ガルビン(Paul Galvin)――
モトローラ創業者

 パソコンファンにとってモトローラという会社は、8ビットCPUのMC6800や16ビットCPUのMC68000、そしてPowerPCで有名である。ライバルのインテルにはアンドリュー・グローブをはじめ有名人が多いが、モトローラの経営者の名前を挙げられる人はほとんどいないだろう。多分、相当の業界通でも答えられないと思う。モトローラという会社は、どのような人物によって創業され、どう発展してきたのだろうか。今回はそれを調べてみたいと思う。

 モトローラは、ポール・ガルビンという人物によって創立された。1895年にイリノイ州の農村地帯であるハーバードで生まれ育った。少年時代から事業家としての才覚をあらわし、地元の鉄道の駅で弟がポップコーンを売るかたわら、その帳簿付けを行っていたという。大学はイリノイ大学に籍を置いたが、2年在学したところで第一次世界大戦が勃発したため、米国陸軍に入隊している。1919年、2年間の軍隊生活を終えると、シカゴに戻ってきた。結局、戦争のために学業を中断してしまったらしい。気の毒なことである。

 シカゴに着いたポール・ガルビンは、テキサス州の石油会社への就職が内定していたが、出社するのはしばらく先となっていた。そこで、つなぎの仕事として蓄電池会社に勤め始める。ところが、この仕事は長引き、2年にもなってしまう。結局、蓄電池事業はポール・ガルビンの一生の仕事になってしまうのである。運命のいたずらといえよう。

 さて、1921年にエドワード・スチュワートと手を組んだポール・ガルビンは、ウィスコンシン州マーシュフィールドに、スチュワート・ガルビン蓄電池会社を創立した。この会社は、資金の問題やシカゴから遠く離れたウィスコンシン州にあったことなどの理由から、うまくいかず、1923年に解散してしまった。

 傷心のポール・ガルビンはシカゴに戻り、1926年までブラッシュ・キャンディ会社のエミール・プラッシュの個人秘書を務めた。このあたりの経歴は少々変わっている。だが、蓄電池会社への思いは断ち切れず、1926年には再びエドワード・スチュワートと手を組んで、今度はシカゴに蓄電池会社を作った。

 しかし、彼らの製品であるラジオ用蓄電池の需要は少なく、1928年には破産してしまう。その後、会社資産は競売にかけられたが、ポール・ガルビンはその多くを買い戻したという。破産した人物が、競売に参加できるほどの資金を残していたという点は不可解だが、実際にそうなのだという。

 こうした紆余曲折を経て、1928年にはシカゴのウエスト・ハリソン街に、ガルビン製造会社が設立される。資本金は600ドルで、従業員は5人という小さな会社だった。主力製品はバッテリ・エリミネータというもので、蓄電池操作の家庭用ラジオを家庭用電源で使用できるようにした装置である。

 さて、もうけが出始めたころに、今度は大恐慌が襲ってきた。それまで、災難続きだったポール・ガルビンの人生であったが、今回は無事に大恐慌を乗り切ることができた。随分と苦労の多い人生に思える。

 バッテリ・エリミネータは、蓄電池操作の家庭用ラジオが主流でなくなると、売れなくなる運命にあった。そこでポール・ガルビン率いるガルビン製造会社は、別の主力製品を見つけなければならなかった。当時、自動車会社は自動車用ラジオを生産していなかったため、1930年から自動車用ラジオを生産することにした。蓄電池から始まって家庭用ラジオを手掛け、それが自動車用ラジオへと変遷したのである。ガルビン製造会社が自動車用ラジオを自動車の販売代理店に売り、販売代理店が自動車に組み込むという流れだった。直接、ポール・ガルビンが自動車会社に製品を売るようになったのは、第二次世界大戦後である。

 ポール・ガルビンは、動きを意味するモーションとラジオの観念を結び付けた合成語としてモトローラ(Motorola)をブランド名とした。これがモトローラの公式の説明である。ご存じの方もおられるかもしれないが、モーターカー(自動車)からモトローラになったというのが、定説となっている。自動車を記述する英語は時代によって、モーターになったり、オートになったりしている。自動車をモーターというのは、1930年代の流行だったという。

 モトローラの自動車用ラジオにはプッシュ・ボタンが初めて採用され、微細ツマミや音量コントロールが初めて使われた。デザインにも工夫が凝らされた。努力の甲斐あって、ガルビン製造会社は、1936年に自動車用ラジオ市場でリーダーとしての地位を確立している。この年、ガルビン製造会社はパトロールカーに搭載される警察無線の分野に参入する。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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