第22回 ページメーカーを作った男
脇英世
2009/3/5
1985年中ごろ、ページメーカーが発売された。バグが多かったといわれる。しかし大成功であった。ページメーカーの成功によって、DTPソフトというジャンルができたのである。
会社を設立して3年後の1987年6月、アルダスは株式を公開する。ポール・ブレイナードは巨額の富を手中にした。アルダスを売却するのでなく、継続するのであれば、アルダスを発展させる方策を採らなくてはならない。
1987年、アルダスはウィンドウズ 1.0用のページメーカーを開発した。マッキントッシュだけでなく、IBM PC互換機上でも動くようにしたのである。ウィンドウズ用のページメーカーが開発されると、開発効率向上のためにマッキントッシュ用ページメーカーとウィンドウズ用ページメーカーの統合化が図られた。いまから考えるとこういう統合化計画が本当に必要であったかどうかは疑問であったが、当時はそういう雰囲気だったのである。
アルダスが成功すると、競合メーカーが出現した。ゼロックス(Xerox)はベンチューラ・パブリッシャー(Ventura Publisher)を出した。ベンチューラ・パブリッシャーはDOS、ウィンドウズ用で、ページメーカーが扱えるより大きな文書を扱えるという特徴を持っていた。1991年、DOSとウィンドウズ市場で、ページメーカーとベンチューラ・パブリッシャーとのシェアの比は3対1であった。
またクォーク(Quark)社は、1988年にクォーク・エクスプレス(QuarkXPress)を出した。クォーク・エクスプレスはマッキントッシュ用で色処理など高度のグラフィックス能力を備えていた。1991年、マッキントッシュ市場でのページメーカーとクォーク・エクスプレスとのシェアの比は1対1に迫っていた。
DTPの技術は、最初はDTPソフトだけのものであったが、次第にワープロソフトなどに吸収され、簡単なものなら、必ずしも大袈裟なDTPソフトと銘打ったソフトを必要としなくなっていた。
アルダスは戦略を練る必要があった。ここでアルダスが開発しなければならなかったのは、ワープロソフトであったはずである。ページメーカーはDTPソフトでありながら、当初は文字入力機能を備えていなかったので、奇妙なことにほかのワープロソフトで作ったテキストファイルを読み込んで処理していた。ウィンドウズ版のページメーカーが開発されたころから、ワープロソフトの必要性が叫ばれるようになり、フリントストーンという暗号名で開発が開始された。1988年初めには、フリントストーンのプロトタイプが動き始めたが、たまたまマイクロソフトのビル・ゲイツにウィンドウズ用ワードのプロトタイプのデモを見せられて、ポール・ブレイナードはマイクロソフトとの衝突を避けるため、フリントストーンの開発を中止してしまう。この決定は少し早とちりで、マイクロソフトのウィンドウズ用ワードが登場するのは2年後であった。
アルダスの最も深刻な問題は、ページメーカーに頼りすぎることだった。アルダスの内部開発はどうしてもページメーカーに偏ってしまい、描画ソフトのフリーハンド(FreeHand)はアルトシス(Altsys)社が開発したものであり、パワーポイントに似たパースウェイジョン(Persuasion)も外部が開発したソフトであった。
これは1つにはポール・ブレイナードの性格にも原因があった。彼は意志の強い完全主義者であり、妥協をしなかった。誰もまねのできない製品を作りたがり、新製品には新機能を詰め込み、満載したがった。これは必ずしも悪いことではなかったが、マーケティングの立場から考えると、出荷時期は常に遅れ、販売のタイミングを失することにつながった。
また、アルダスに欠けていたのは、マーケティングだったが、ポール・ブレイナードはマーケティングさえも他人任せにできない性格だった。他人に権限を委譲することは、他人に自分の地位を脅かされることと勘違いした。つまりポール・ブレイナードは典型的なワンマン経営者で、人を使えないタイプの人間だったのである。これでは管理職が育たず、アルダスが成長できるはずがなかった。
そうこうするうちに、1990年には不況が襲ってきて、アルダスの成長は鈍化した。経費の削減と人員削減が必要であった。そこへウィンドウズ3.0、ウィンドウズ3.1とその関連アプリケーションが出てアルダスに痛撃を与えた。次第に追い詰められたポール・ブレイナードは、1994年にアルダスを5億2500万ドルでアドビに売り渡した。ここにアルダスは消滅したのである。
ポール・ブレイナードは環境保護運動のために4000万ドルを拠出し、ブレイナード基金を設立した。ポール・ブレイナードはDTPの歴史に偉大な足跡を残したが、1997年からはSVP(ソシアル・ベンチャー・パートナー)で社会貢献に努力している。
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
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