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IT業界の開拓者たち

第24回 パームパイロットの生みの親

脇英世
2009/3/9

第23回1 2次のページ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

ジェフ・ホーキンス(Jeff Howkins) ――
ハンドスプリング会長兼CPO

ドナ・デュビンスキー(Donna Dubinsky)――
ハンドスプリング社長兼CEO

 UCバークレーの電気工学科を卒業したブライアン・ダファーティという若者が、1981年にビデオゲームメーカー、イマジック(lmagic)を設立し、副社長になった。イマジックは一時、輝かしい成功を収めたが、ゲーム不況で1983年に倒産した。そこでブライアン・ダファーティは、1983年にソフトワークス(Softworks)をカリフォルニア州アラメダに自己資金で設立した。コンピュータゲームと開発ツールを作る会社である。1984年、ソフトワークスはバークレー・ソフトワークスと社名変更し、VTRと組み合わせたビデオゲームを作る会社になった。1986年には決然と方針転換し、コモドール(Commodore)64のOSであるGEOSを作った。1980年代末、バークレー・ソフトワークスはジオワークス(Geoworks)と、また社名変更する。ブライアン・ダファーティは、GEOSを1Mバイト容量のコンシューマ用コンピューティングデバイスに向けたOSと再定義した。

 1993年、ズーマー(zoomer)というハンドヘルド・コンピュータが登場した。このマシンはカシオ、パーム・コンピューティング(Palm Computing)、データライト(Datalight)、ジオワークスによって設計された。カシオは、ハードとROMBIOSを設計した。このとき、カシオはNECのV20互換のプロセッサも開発した。V20を選択したため、CPUは能力不足であった。データライトは、ROM-DOS 3.31を提供した。パーム・コンピューティングがズーマーのほとんどのアプリケーションを提供し、また手書き認識部のパームプリントを提供した。ジオワークスが前述のGEOSと開発ツールを提供していた。

 ズーマー陣営のマシンは、中核グループがカシオのZ-7000、XL7000、タンディのZ-PDA、ASTのグリッドパッド2390であった。これらは基本的には同じ仕様でできていた。また完全に同じではないが、シャープPT-9000もズーマーグループに属していた。ズーマーとはコンスーマー(消費者)から作った言葉という。

 1993年のクリスマスシーズンを狙って出荷されたズーマーは、1994年1月末までに、わずか1万台しか売れなかった。惨たんたる敗北であった。結局、ズーマーは消滅した。

 話は1982年までさかのぼる。この年、グリッド(GriD)という会社が誕生した。同社のグリッドコンパス(GriDCompass)は、ラップトップコンピュータというジャンルを確立したが、軍やNASAや政府系機関をターゲットとしたため幅広い地盤を持たず、東芝のラップトップコンピュータに敗れることになる。1988年、グリッドはタンディに買収されて姿を消すが、翌年のグリッドパッドで、ちらりと歴史に姿を現す。

 このグリッドという会社にジェフ・ホーキンスという若者がいて、グリッドパッドの開発に関係していた。グリッドがタンディに買収された後も、ジェフ・ホーキンスはタンディにとどまっていた。1993年、グリッドパッドの開発部門は、タンディからASTに売却される。そのため、前述のように、ASTがグリッドパッド2390というズーマー製品を持っていた。

 ただジェフ・ホーキンスは、タンディからASTには行かなかった。1992年1月、ジェフ・ホーキンスは、ドナ・デュビンスキーとパーム・コンピューティング(Palm Computing)を設立したのである。

 ドナ・デュビンスキーは1955年生まれで、エール大学歴史学科を卒業し、ハーバード大学大学院で経営学修士号を取った。アップルに9年間いて、クラリスを立ち上げたやり手である。ドナ・デュビンスキーはシリコンバレーの女性で注目される20人の中に入っている。

 一方、ジェフ・ホーキンスは、最近はそれほどでもなくなったがまったく自分について語らない人で、どれほど調べても何も分からない。パームパイロットで有名になってから、3回ほど10ページ分ぐらいずつの長いインタビューがあるのだが、自分については何も話さない。資料を読む側としては、虚しい気がする。意図的なはぐらかしもあるらしく、ここまで謎の人はそうはいないだろう。いまとなっては、その理由の一半でも分からないわけではない。

 ホーキンスは1957年6月にニューヨーク州ハンチントンのロング・アイランドに生まれた。ホーキンスの一家は「船を設計し、船を製造し、船に住んでいた」。いまも家族は船に住んでいる。

 父親は少し変わったところのある人で、十六角形のボートを設計し、その上に一家を住まわせた。ホバークラフトとは違うのだが、電気掃除機のファンで50トンもある巨体を動かせた。公式な名前は「シー・スペース(海の空間)」であったが、「バブル・モンスター」という別名もあった。時々、「バブル・モンスター」の上でオーケストラの演奏会が開かれた。

 ホーキンスが最初に抱いた興味は生物物理学であった。本人は大学進学に際して迷ったようだが、父親の勧めで電子工学へ進んだ。1979年にコーネル大学の電子工学科を卒業した。インテルに数年勤めた後、1982年グリッド・システムズに入社した。1985年ホーキンスは突如グリッド・システムズを退職し、UCバークレーの大学院に入学した。専攻は生物物理学であった。2年後、ホーキンスはまた突然グリッド・システムズに帰ってきた。こうした経歴上の難点が新規参入企業の責任者としては不都合であったからだろう。UCバークレーで脳について勉強したことは、パターン認識への理解を深め、ホーキンスがグリッド・ズーマーの手書き認識部の開発をする際に役立ったものと思われる。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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