第25回 辣腕のリストラ請負人
脇英世
2009/3/10
多数の候補者をものともせず、1993年ルー・ガースナーは、ジョン・エイカーズ会長の跡を継ぎ、IBMの会長兼CEOとなった(*1)。IBMは純血主義でIBM以外から役員を迎えることは珍しい。ましてや会長兼CEOという最高幹部に外部から人を招くことはIBMの歴史上初めてである。それだけIBMの事態は深刻だったのだろう。
(*1)1997年11月、ガースナーが2002年、すなわち彼が60歳になるまでIBMの会長とCEOを務めることが決まった。実に9年間のガースナー時代となることが決定したのである。ガースナーは報酬として、300万株分のストック・オプションをもらった。1997年、パソコン業界で最も多くの給料をもらったのは、インテルのアンドリュー・グローブで5260万ドル、次いでアップルのギルバート・アメリオが2690万ドル、ルー・ガースナーは控え目で1490万ドルである。ちなみに最も少なかったのは、ネットスケープのジェームズ・バークスデールの1ドルである。 |
不良採算部門の売却や閉鎖などが行われたが、リストラは、エイカーズ会長の時代に計画されたものがそのまま進行している形である。IBMくらい巨大なハイテク会社になると、そう簡単にガースナー哲学を展開できるものではない。しばらくの間は、世界中を回って各部門の視察と聴取を行っていたようだ。彼の考え方が表明されるということは、あまりなかったように思う。
従ってガースナー哲学は、なかなかその全貌が分からなかった。「固定的なポリシーがないのがわれわれのポリシーだ」というのがガースナー哲学であるらしいが、これが悩みの種だ。それまでIBMの本部には、3000名くらいのスタッフからなる企画部門があって、全世界へ向けて今後数年間のIBMの方針を伝達していた。その部門が、ある日こつぜんと消滅してしまった。従ってIBMの方針がさっぱり分からなくなってしまった。
ある意味では、ガースナー以前のIBMはアーキテクチャを売っていた。「IBMは、これこれのアーキテクチャにのっとって、今後数年間、こういう方針でいきます」というのがIBMのやり方だったが、それがなくなり、販売実績第一主義に転換した。「絵に描いたもち」を売ろうとしていたのをやめて、実際に売れたもちの数で評価するようになったといえば、それきりである。もはや紙に印刷された形で伝達はされないが、ガースナー哲学を見て取ることはできる。実績第一主義、分社化の是正、統一IBMの再編などは明確に見て取れる。オープン政策にも多少懐疑的なようだ。
1993年12月期の決算こそ81億100万ドルの損失を計上したが、同年の第4四半期に限ってみれば6四半期ぶりの黒字化に成功している。さらに1994年12月期には、通年でも赤字脱却を果たした。何はともあれ、着任して極めて短期間でガースナーによるIBMのリストラは成功した。IBMは見事に黒字に転換した。
1995年の4月、来日3回目で、ルー・ガースナー会長は日本の報道関係者に初めて公式に姿を見せた。これまでの2回の来日では、IBMの顧客にだけ会っていたという。会場に姿を現したルー・ガースナーは「私は机の後ろに座っているのは嫌いです。机の後ろというのは世界を見るのに最も不適当な場所だからです」といって、机でも、演壇でもなく、会場の真ん中に立ってスピーチを行った。普通スピーチは一時間くらい続くものだが、10分程度で終わり、あとの時間をすべて質問に答えるという型破りなスタイルで人々を驚かせた。「固定的なポリシーがないのがわれわれのポリシーです」「とかく成功の手法を制度化しようとするのが問題です」という言葉が印象に残った。
かつてのIBMにはドレスコードがあった。IBMの創始者トーマス・ワトソン一世が定めた、ダークスーツに白のワイシャツ、地味なネクタイというスタイルである。このスタイルをルー・ガースナーが否定してノーネクタイを提唱しているのではないかと聞かれて、「私は格別ドレスコードも否定しませんし、ノーネクタイも否定しません。どちらにも固定化しないのがIBMのスタイルです」という答えがあった。柔軟といえば柔軟だが、なかなかしたたかなリーダーである。
再生かなったIBMとルー・ガースナー会長の今後の動向に注目したい。
■補足
ルー・ガースナーは2002年3月1日、IBMの最高経営責任者の地位をサミュエル・パルミサーノに譲った。パルミサーノはそれまでIBMの社長兼最高執行責任者(COO)であったが順調に昇格した。ガースナーは2002年末までIBM会長にとどまることになった。
ガースナーの功績は何といってもIBMのリストラを成功させたことである。ガースナーがIBMに移った1993年4月から2001年末までの間に、IBMの株価は800%以上も上昇し、市場評価額は1800億ドルも増加した。
偉大なガースナーであるが、基本的な戦略は「ビジネスに余計な屁理屈はいらない」ということだった。確かに正しい戦略であったが、IBMが戦略やパースペクティブについて語らなくなったことは多少寂しいことでもある。
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
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