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IT業界の開拓者たち

第25回 辣腕のリストラ請負人

脇英世
2009/3/10

第24回1 2次のページ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

ルー・ガースナー(Louis Gerstner)――
IBM会長兼元CEO

 ルー・ガースナーは、IBMのリストラを成功させた人である。本人からもらった名刺には、ルイス・V・ガースナー・ジュニアと書いてあったが、愛称でルイスをルーと呼ぶ。ルー・ガースナーは、1942年3月1日、ニューヨーク生まれで、IBMのような巨大な世界組織を指導する会長という重責にあるにしては若い。クリントン大統領にしても若いし、米国の指導者層は総じて若い。この点は日本と大きく違う。ガースナーは、いかにしてIBMを再生させたのだろうか。

 ルー・ガースナーは、ニューヨーク州ミネオラに生まれ育った。1963年、ダートマス大学工学部を卒業し、1965年ハーバードビジネススクールを卒業、MBA(経営学修士号)を取得している。理科系出身ながら文科系へ転進を図ったわけで、面白い経歴である。幅広い素養を持っている。

 1965年、経営コンサルタント会社のマッキンゼー&カンパニーに入社し、ディレクターにまで昇進する。この間の経緯については、あまりよく分からない。

 1978年、アメリカン・エキスプレスに入社し、アメリカン・エキスプレスの子会社トラベル・リレイテッド・サービスの会長兼CEOとなり、さらにアメリカン・エキスプレスの社長となる。アメリカン・エキスプレスのクレジットカード事業のリストラを断行し実績を残す。この時点でのルー・ガースナーは、かなりの功績を残したには違いないが、それほど名前が出なかった。

 ルー・ガースナーが有名になるのは、1989年RJRナビスコの会長兼CEOに就任してからである。

 RJRナビスコは1985年にRJRとナビスコが合併してできた。RJRナビスコはビスケットで有名だが、キャメルというタバコのメーカーでもある。巨大な企業複合体である。

 このRJRナビスコに対して1988年11月にコールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR) によって、M&A(合併買収)が提案された。これに対抗してRJRナビスコも防衛を決意し、自社株買いなどの防戦策を取った。さらに投資会社フォースマン・リトルやファースト・ボストン銀行もM&Aに参加した。たかが、タバコとビスケットの会社と思うのは認識が甘い。RJRナビスコの買収価格は247億ドル、つまり当時の金額で約3兆円であり、米国史上最大の企業買収劇であった。すさまじい戦いの後、11月30日、勝利を収めたのはKKRであった。247億ドルという金額は何といっても大きい。

 こうした企業買収の結果、RJRナビスコの会長兼CEOに就任したのが、ルー・ガースナーであるから、どんな人だろうかと思うのは当然だろう。このころから、ルー・ガースナーの名前は盛んに出てくるようになる。

 RJRナビスコの会長兼CEOに就任したルー・ガースナーは、時を移さず経営の刷新を断行する。まずRJRナビスコの保有していた重役専用ジェット機8機のうち7機を売却し、かなりの数の役員用社宅とアパートを売却した。社宅とかアパートといっても、日本人が想像するような貧しいものではない。米国のエグゼクティブが住む家というのは日本人の想像を超えている。当時、RJRナビスコの本部はジョージア州アトランタにあったが、マッキンゼーの社員がやってきて、全社員と全資産の査定を行った。1989年4月にRJRナビスコの本部はアトランタからニューヨークに移転するが、その際、同行を許されたRJRナビスコのマネージャは10%にすぎなかったといわれる。つまり分かりやすくいえば、大半がクビになったのである。

 ルー・ガースナーはRJRナビスコにおいて、コスト削減、60億ドルあまりの資産売却、負債の半減など、財務体質の健全化を推進した。すごいやり手である。

 1991年のIBMの赤字は、28億ドルであった。こうした事態に対応してIBMは1991年12月に子会社を2つ作ることをはじめとして分社化を行い、組織の再編を行った。また、盛んに人員整理を行った。IBMは全盛時の1985年には全世界で40万5535人の社員を抱えるビッグカンパニーであった。IBMは組織の人員が増え過ぎたために、社員の官僚化と組織の硬直化が進んでしまった。新規事業計画に対する決定も、何層にもなった意思決定機構にかけられるために数年を費やすことさえあった。

 1991年末には、IBMには35万人の社員がいて、減量化が進んでいたが、さらに4万人の人員整理が推し進められることになった。また人員整理を行うだけでなく、組織の簡素化が叫ばれ、組織を分割することも考えられた。これがリストラ政策である。

 1993年1月19日に明らかにされたIBMの1992年12月期決算は、予想されてはいたものの圧倒的な驚きで迎えられた。赤字が49億6500万ドルと米国経済史上最大であった。

 これだけの赤字を出した理由はリストラ経費として年間116億5000万ドルを計上したからである。1992年の第4四半期に計上されたリストラ経費は72億ドルと巨額なものであった。

 この創業以来の赤字、創業以来の減配の責任を問われて、1993年1月26日の役員会で、当時のエイカーズ会長がCEOの地位を引責辞任した。エイカーズ会長の後任は、社外重役で構成される選任委員会が当たることになった。誰がなるのだろう、といろいろ騒がれたものである。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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