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IT業界の開拓者たち

第30回 牛をモチーフとした男

脇英世
2009/3/19

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 ゲートウェイは広告コピーの常識を破った奇抜な宣伝で評判を呼んだ。広告の専門家からは「趣味が悪い」とか「最低だ」との批判を受けるが、テッド・ウェイトはものともしなかった。

 1988年、最初の広告コピー「アイオワから来たコンピュータ?」はテッド・ウェイトがデザインして自分で書いた。資金不足だったせいで1年半このコピーが配られ続けた。1990年、有名な「PC酒場」という広告コピーが出た。本当に西部劇の酒場の写真である。この広告はゲートウェイのパソコンについて何も言及しておらず、むろんパソコンの写真もなかった。1991年8月、続いて出たのが「価格戦争の時代」という広告コピーで、いわゆる「ロビン・フッド」広告として有名なものである。これにはテッド・ウェイト自身がロビン・フッドに扮して登場した。1991年ごろからゲートウェイの広告に牛の白黒模様が登場するようになる。そして、現在のような牛の白黒模様の箱が使われるようになる。もっとさかのぼれば、1989年に「草原に目をひく」という題で牛が使われている。ただこれは単発コピーで、組織的に牛にこだわるようになるのは1991年ごろからである。

 1992年「レース」という競馬に題材を取った広告コピーがヒットする。1994年「人民に力を」という反体制風な広告コピーに続き、「PC酒場」のテーマが再び蒸し返され、テッド・ウェイトが再び広告コピーに登場した。

 この後はゲートウェイ2000もお金ができて、より専門的なコピーライターやエージェントを使うようになる。そうすると広告コピーははめられた枠の中で洗練はされるが、面白くなくなる。まあ当然のことだろう。

 1993年12月、ゲートウェイ2000は株式を公開し、順調に全世界へ展開していく。アイルランド、イギリス、フランス、ドイツ、日本、ベルギー、スイス、ルクセンブルクと拠点が増えていく。テッド・ウェイトはこのころ、「外国語を覚えようかな」と語ったそうである。

 1997年5月、ゲートウェイ2000は、AMIGAテクノロジーGmbHをすべての特許、商標とともに買収した。これは戦略的に果たして賢明であったかどうか疑問だが、いつも成功ばかりとはいかないだろう。

 ゲートウェイ2000が狙っているのは軽快でありながら組織の整備された大企業になることである。この目的達成のために、1997年以来、テッド・ウェイトは多数の副社長を外部の大メーカーから採用した。また1998年1月、AT&Tの執行副社長ジェフリー・ワイツェンを招いて社長にした。官僚制の導入と野性がどのように同居できるものか見ものである。

 1998年4月23日、テッド・ウェイトは社名をゲートウェイ2000からゲートウェイに変更した。これに伴い、会社のロゴも変更になった。手描きの牛の白黒模様の箱と緑色のフォントを使っている。緑は成長、モーメンタム、バイタリティの象徴として選ばれたという。

 1989年、ノースカロライナ州のアラン・クラッグという人がgateway.comというネットワーク・コンサルタント会社を設立した。このため訴訟となりゲートウェイ2000は長くwww.gateway.comを使えず、www.au.gw2k.comというURLを使っていた(*2)。ゲートウェイがwww.gatewey.comというURLを使えるようになったのは1998年4月23日以降である。

*2)gw2kはgw2000、つまりgateway2000の短縮形である。

 テッド・ウェイトは成功者であるが、彼のビジネススタイルを見ていると、極めてつましく堅実である。

 しかし、そのテッド・ウェイトも1997年7月、1440万ドルを投じてサンディエゴに1万6000平方フィートの土地付きの豪壮な大邸宅を購入した。

補足

 1999年12月8日、テッド・ウェイトは最高経営責任者の職をおりて、ジェフリー・ワイツェンに譲ると発表した。実際に2000年1月テッド・ウェイトは最高経営責任者の職をジェフリー・ワイツェンに譲った。ただテッド・ウェイトは会長にとどまり、ゲートウェイの株の3分の1を持っていた。2001年1月になると、テッド・ウェイトはジェフリー・ワイツェンの首を切った。テッド・ウェイトがジェフリー・ワイツェンを気に入らなかったという以外に、特に解雇の理由がなかったために、ジェフリー・ワイツェンは総計810万ドルを受け取った。

 テッド・ウェイトはゲートウェイがIT部門を狙ったのを嫌い、単なる小さなコンピュータ・メーカーに復帰すると宣言した。即日工場が閉鎖され、人員解雇が行われ、海外部門が閉鎖された。利益を取り戻すためだという。ずいぶん乱暴な話で、動いているコンピュータの電源プラグをいきなり引き抜いたようなものだ。また2001年の8月までには、米国内のかなりのショップが閉鎖され、残っていた人材も追い出された。こんなことをすればどうなるだろう? 当然ゲートウェイの株価は70%も下落した。

 近代的な会社づくりに多少成功したマイケル・デルに比べて、テッド・ウェイトはやはり土の匂いを好むローカルな牧畜業者であったように思われる。それが悪いとは特に思わないが……。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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