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IT業界の開拓者たち

第31回 アーケードゲームマシンの先駆者

脇英世
2009/3/23

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 1978年ノーラン・ブッシュネルはアタリを辞める。辞職の条件は、5年間はワーナー・コミュニケーションズと競合する仕事はしないということであった。ノーラン・ブッシュネルはチャック・E・チーズ・ピザ・タイム・シアターを買い取り、この経営に専念する。

 ノーラン・ブッシュネルは大成功者であった。アメリカンドリームの体現者である。チャック・E・チーズ・ピザ・タイム・シアターは最盛期には300店舗を構え、ノーラン・ブッシュネルが所有した会社は18社に及んだ。しかし、その多くは道楽だの遊びだのと評され、実際そのとおりにほとんどが倒産した。

 しかし、ノーラン・ブッシュネルは2機のリアジェット、4軒の大邸宅、ロールスロイス、ベンツ、プジョーなど無数の高級車、加えてポングと名付けたヨットまで持つようになった。ついでに糟糠の妻(そうこうのつま:貧しい時に結婚した妻の意)まで美人に取り換えてしまった(*2)。文字どおりのアメリカンドリームだ。米国には無名の青年が一躍大富豪になるチャンスがあるという伝説を実現した。

*2)そのせいか、ノーラン・ブッシュネルには子どもが8人もいる。

 1978年12月、アタリは「アタリ400」「アタリ800」を出す。設計者はジェイ・マイナーである。1982年、ジェイ・マイナーはアタリを辞めてアミーガを設立する。これが意外な波紋を起こすのである。

 1983年、ビデオゲームの大瓦解が起きた。アタリは経営のずさんさから当時としては信じられないような損失を出した。ワーナー・コミュニケーションズの損失は5億3800万ドル(690億円)に上った。

 1984年1月、コモドールの社長ジャック・トラミエールが、会長のグールドにコモドールを追放される。アウシュビッツの生き残りで、非情なビジネスをするジャック・トラミエールは心に深く復讐を誓う。ジャック・トラミエールは密かにアタリの買収を試みた。ジャック・トラミエールは一方で、打倒コモドールの秘策として隠密裏にジェイ・マイナーのアミーガ買収も試みる。融資の返済を武器にしたジャック・トラミエールの買収工作はほぼうまくいったが、なんといっても買収条件が過酷に過ぎた。そこでアミーガは返済期限の2日前にコモドールと接触した。話は即座に決まった。こうして6月、アミーガはコモドールの傘下に入った。7月、アタリの株式はジャック・トラミエール親子が47%、タイム・ワーナーが27%を持つことが発表された。こうしてジャック・トラミエールはアタリを手中にして自ら設立したコモドールとの戦いを始めることになった。

 1994年4月29日、グールド率いるコモドール・インターナショナルは、ジャック・トラミエール率いるアタリの執拗な攻撃の前についに破産に追い込まれた。ここにジャック・トラミエールの復讐は成就し、コモドールの名前は永久に消滅した。ただコモドールのごくわずかな残党はアミーガ・テクノロジーズGmbHとして残った。

 1996年、アタリはJTSと合同させられアタリの社名は突然、これまた永久に消滅した。ジャック・トラミエールは健在だが息子のサム・トラミエールが先に亡くなってしまい力を落とした。

 1997年5月、ゲートウェイ2000がアミーガ・テクノロジーズGmbHを買収し、アタリ、アミーガ、コモドールの血の一部はアミーガ・インターナショナルとして残ることになった。

 ノーラン・ブッシュネルは長く表舞台から遠ざかっていたが、1996年アリスト・ゲームズ社の社長になりE2000エンターテインメントセンターの展開で注目を浴びた。最近の写真を見ると、若いころとはまるで違い、驚かされる。

補足

 1980年代の初め、ノーラン・ブッシュネルはボブとトポというロボットの注文を取りに国中を回った。これがアンドロボット社誕生のきっかけである。アンドロボット社を興すためにノーラン・ブッシュネルはメリル・リンチ社からお金を借りた。借金の抵当にはチャック・E・チーズ・ピザ・タイム・シアターの株をあてた。メリル・リンチは当初1983年夏にアンドロボット社の株式を上場させるとしていた。ノーラン・ブッシュネルはアンドロボット上場での株式からのもうけを期待して借金を重ねた。ところが、メリル・リンチは突然アンドロボットの株式上場を延期してしまった。このためノーラン・ブッシュネルは窮地に立たされてしまった。折悪しくチャック・E・チーズ・ピザ・タイム・シアターの株の評価が2300万ドルから900万ドルに落ちてしまい、2280万ドルの欠損を出してしまった。そこでアンドロボットとチャック・E・チーズ・ピザ・タイム・シアターは倒産してしまったのである。

 債権者となったメリル・リンチに対して、ノーラン・ブッシュネルは1986年だけでも800万ドル支払い、1990年までに2750万ドルを支払った。ここで借金の減額交渉が行われた。1992年までには50万ドルに減額され、これを1995年6月までに支払うことになった。それが支払えない場合、借金は350万ドルに増加するという約束であった。

 手短にいえば、ノーラン・ブッシュネルは1995年までに50万ドルを支払えず、メリル・リンチは裁判所に訴えた。判決はノーラン・ブッシュネルに610万ドルの支払いを命令した。結局、ノーラン・ブッシュネルはすべての財産を失い、彼の妻も息子もすべての資産を差し押さえられてしまった。ほとんど無一文になってしまったのである。悲惨である。あまりに前半生で成功しすぎた男の不幸である。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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