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IT業界の開拓者たち

第35回 互換CPUで名をはせた男

脇英世
2009/3/27

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 1982年AMDとインテルは10年を期限とする技術交換協定を組んだ。これはx86マイクロプロセッサ・ファミリーと周辺制御回路を中心とするものであった。

 この年ジェリー・サンダースは2台目のロールスロイスと3つ目の大邸宅を購入し、最初の妻と離婚、ミス・コンテストに出た2番目の若い美人の妻を獲得した。1984年、「1982年の10年を期限とする技術交換協定」の改定交渉があった。AMDはインテルの80186と80286のセカンドソース権が欲しかったが、プロセッサ当たりのロイヤリティに切り替えられ、インテルとの力の差が目立つようになる。1986年、AMDとインテルは「1982年の10年を期限とする技術交換協定」の仲裁条項に基づく非公開の仲裁に入る。これは3年間続いて解決せず裁判になった。1989年、AMDは独自に386の開発計画ロングホーンに着手し、1991年Am386を発表する。インテルはAMDがAm386の発売を計画しているのを察知し、「386」はインテルの商標であり、AMDの行為はインテルの商標権の侵害であると提訴する。

 1991年インテルは「386」の商標権の裁判で敗訴する。「386」は非常に広く浸透しており、「386」を商標とすることは認められないとの判断だ。この結果286、386、486のすべてが商標として認められないことになり、(AMDのような)インテル互換プロセッサ陣営は勢いづく。この結果インテルはP5を586という番号でなく、ペンティアムという名前にする戦略に向かうことになる。

 1993年、287の開発に関してAMDが利用した286のマイクロコードの使用権に関するAMDとインテル間でのマイクロコード裁判でインテルが敗訴する。AMDはAm486を発表する。この年ジェリー・サンダースはロールスロイス2台をやめてベントレー2台に変える。

 1994年、AMDはAMD-K5を発表する。ペンティアムより30%高速と発表したが実際には達成できなかった。コンパックはAMDのK5を採用しようとしたが、失敗を見て取りやめた。

 1995年、突如としてAMDとインテル間のすべての法廷闘争が終結し、特許のクロスライセンス協定が結ばれる。486の次世代以降のCPUについてはインテルのマイクロコードの利用禁止、ペンティアムの次世代以降のCPUについてはソケットの流用も禁止と、どちらかといえばAMDに不利な解決となる。

 また、この年10月ジェリー・サンダースとネクスジェン社のアテック・ラザが、ビバリーヒルズホテルのポロラウンジで秘密に会って、AMDがNx586を持つネクスジェンを買収することを決定する。Nx686がAMD-K6となる。1997年、インテルがAMDをMMX商標の使用で告訴する。

 AMDの法廷闘争の歴史で感心するのは、AMDが実に運のいい企業だということで、インテルの猛烈な訴訟戦術に敗北しなかったことである。むしろ無駄な金と精力を使ったのはインテルだったかもしれない。

 ただしAMDはインテルとの対決に目を奪われ過ぎ、フラッシュメモリ、RISCチップ、プログラマブルロジックデバイスなどの部門をおろそかにし過ぎたという批判もある。

 ジェリー・サンダースは1969年以来、AMDを指導してきた。29年という年月は長い。ハイテク会社の経営者としては最も長い期間社長、会長の座にとどまっているといえるだろう。しかし、1997年ジェリー・サンダースはあと5年間の雇用契約をAMDと結んだ。自分で自分の雇用契約を結んだのである。つまり2002年までジェリー・サンダースはAMDの会長にとどまることになっている。

 スレート誌によれば1996年ジェリー・サンダースの年収は104万ドルで米国の最高経営責任者の平均より58%多い。株式のオプションなど一切合切を含めると2220万ドルで米国の最高経営責任者の平均より479%多い。

 インテルとの対決を見ていると、ジェリー・サンダースがやり手中のやり手であることは間違いない。しかし、ワンマン経営がそれほど長く続くことが果たして本当に良いことかどうかは考えてみる必要のある問題だろう。

補足

 ジェリー・サンダースは2002年4月16日、マイクロソフト側の証人として、マイクロソフトに対する独占禁止法訴訟の裁判に出廷した。その記録が公開されている。99ページに及ぶものである。ジェリー・サンダースの過去については、ここに記した以上のことは出てこない。だが法廷においてはAMDの戦略が明らかにされている。

 AMDは現在64ビットに互換な32ビットのx86プロセッサであるHammerを開発している。このHammerが成功するかどうかがAMDの将来の成功の鍵になっている。HammerはAMDの第8世代のプロセッサである。Hammerの成功はマイクロソフトのウィンドウズがHammerをサポートするかどうかにかかっている。マイクロソフトがAMDによるx86の64ビット拡張をサポートするかどうかが鍵なのである。

 一方、マイクロソフトは独占禁止法訴訟において、AMDの支援を必要としていた。ジェリー・サンダースの世界観は簡単で「マイクロソフト良し、インテル悪し」であった。

 ところでインテルは64ビット・プロセッサとしてItaniumに続いてYamhillを開発している。インテルのYamhillと、AMDのHammerが対決する構図となっている。

 そこでジェリー・サンダースは、ビル・ゲイツにAMDがマイクロソフトを支援する見返りとして、Hammerの支援を要求した。裁判の時点までにマイクロソフトはAMDのHammerを支援するかどうか明確な意思表示をしていない。なかなか政治的な世界である。

 ジェリー・サンダースの証言記録には、非公開になっている部分がかなりのページ数あり(3792〜3795ページ、3809〜3817ページ)、いつか何が話されたのか知りたいものだと思う。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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