第37回 モノリシック集積回路の発明者
脇英世
2009/4/1
ジャック・キルビーは、テキサス・インスツルメンツには1970年までいた。この間の足取りは極めて明快である。1958年から1960年まではモジュラー回路と集積回路の開発を担当した。1960年から1962年までは半導体回路担当テクノロジー・マネージャを務めた。1962年から1967年までは半導体回路担当マネージャを務めた。
この間、ジャック・キルビーは集積回路の伝道に従事し、集積回路について説いたが受け入れられなかった。集積回路技術の信頼性は低く、歩留まりが悪かった。コストを気にしないのは軍用だけである。ジャック・キルビーはオートネティックス社と共同で、改良型ミニットマン・ミサイル用集積回路を開発した。その中にはゲート、フリップ・フロップ、コア・ドライバ、センサー増幅回路など22種の新型集積回路があった。
また、ジャック・キルビーは集積回路開発担当マネージャ、半導体研究開発研究所の副ディレクターを務め、1965年9月ジェリー・D・メリーマンとジェームズ・H・バン・タッセルと話し合ってハンドヘルド型の電卓の開発を決意する。このハンドヘルド型の電卓は1967年完成し、1974年6月25日米国特許3819921として成立する。
1967年テクノロジーカスタマーセンター担当マネージャを務める。1968年副社長補佐になる。続いて1970年、部品グループのエンジニアリングテクノロジー担当ディレクターを務めた。
この年ジャック・キルビーは47歳にしてシリコン技術を使った太陽電池の研究に従事するためテキサス・インスツルメンツを辞めた。この後、形式的にはテキサス・インスツルメンツの非常勤の顧問をしていたことになっている。集積回路からはもう離れている。
ジャック・キルビーは1978年から1984年にかけて、テキサス州のテキサスA&M大学電気工学科の名誉教授を務めた。
ジャック・キルビーの人生はモノリシック集積回路の発明者として世界中から寄せられる多くの顕彰にもかかわらず、平凡である。篤実で立派な人物と伝えられる。怖そうな顔をして写っている写真が多いが、にっこり笑って人のよさそうに写っている写真もある。60あまりの米国特許があるが、1958年のただ1つの業績だけが抜きんでており、それだけで歴史に残った。
ジャック・キルビーが作ったのは発振器やゲートやフリップ・フロップで、テキサス・インスツルメンツと富士通とが争っているのは、1Mビットや4MビットDRAMや36KビットEPROMがキルビー特許に触れるか触れないかという問題である。これは難しい問題で、何ともいえない。
わずか1回の試行で、研究室レベルで集積回路ができてしまったことは事実で、特許を取ったことも事実だ。しかし、こういう場合、学問の世界でノーベル賞を与えるなどの方法で報いてあげるのが適切ではないかと思う。
ジャック・キルビーが手掛けたのが、シリコンでなくゲルマニウムであるのは少し弱い点だと思う。
■補足
ジャック・キルビーは2001年10月10日、集積回路の発明に関して、ノーベル物理学賞を受賞した。そのことで従来以上に電子工学の教科書に大きく取り上げられるだろう。だが、多分それはそれだけで、ジャック・キルビーの名前を知っている人は依然少ないだろう。
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
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