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IT業界の開拓者たち

第37回 モノリシック集積回路の発明者

脇英世
2009/4/1

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

ジャック・キルビー(Jack S.Kilby)――
ゲルマニウム版集積回路の特許保持者

 ジャック・キルビーは有名な人である。彼は集積回路を発明した。正確にいえば、集積回路の発明者は2人いて、ジャック・キルビーはゲルマニウム版の集積回路を発明した。シリコン版の集積回路はロバート・ノイスが発明したというのが最近の一般的見解である。

 この人は日本でだけ有名で、多分米国ではあまり知っている人はいない。というのはジャック・キルビーのゲルマニウム版集積回路の特許は、米国では1964年に成立し、1981年で失効しているからだ。だからジャック・キルビーのゲルマニウム版集積回路の特許は、もはや米国では電子工学の教科書に、歴史の記載として1行残るだけで、そのことは大変偉大なことではあるのだが、現在では何の商業的意味も持たない。米国の企業が集積回路を作ってもキルビーの特許に触れて訴訟を起こされて多額のロイヤルティーを請求されたりする心配は何もない。

 ところが、ジャック・キルビーのゲルマニウム版集積回路の特許は、米国での1964年成立後、日本では25年も遅く1989年に成立した。日本の特許庁がこれを特許として認めるか否かについて相当迷ったのだろうが、25年もかかったことは大問題を引き起こした。日本でのキルビー特許の失効は2001年になる。米国では失効しているが日本では依然キルビー特許は有効なのだ。このため東芝、沖電気、三菱電機、日本電気などの日本の大手電機メーカーはジャック・キルビーのゲルマニウム版集積回路の特許を持っているテキサス・インスツルメンツに多額のロイヤルティーを払っていた。富士通だけはテキサス・インスツルメンツのキルビー特許を認めずいまも争っていて、東京地方裁判所での勝訴に続いて1997年10月東京高等裁判所で勝訴した。何でも争うというのではなく、1996年2月5日、富士通はテキサス・インスツルメンツとクロス・ライセンス契約を結び、これが2005年まで継続することになっている。ただ1つ基本特許の性格を持つキルビー特許については、富士通はこれを認めず争うことになっている。それだけ包括的で影響力が大きく、しかもあいまいな特許が有名なキルビー特許なのである。

 まだ最高裁判所の審理が残っている。21世紀までかかる裁判であるのかもしれない。もし富士通が最高裁でも勝訴したらロイヤルティーを払ったほかのメーカーはどうするのかという話題もあるが、多分21世紀になれば忘れ去られてしまうだろう。

 ジャック・キルビーは、1923年11月8日ミズーリ州のジェファーソンシティに生まれた。育ったのはカンザス州グレートベンドという所らしい。1947年イリノイ大学の電気工学科を卒業した。1947年ウィスコンシン州ミルウォーキーのグローブ・ユニオン社に入社、セントラルラボ部門に配属された。ずいぶんよく移動する人だ。ミズーリ州、カンザス州、イリノイ州、ウィスコンシン州と移動している。

 ジャック・キルビーは勤務のかたわらウィスコンシン大学大学院の電気工学科に学び、1950年修士号を取った。勤務先のセントラルラボでは、セラミックベースのシルクスクリーン回路を民生品用に設計し、開発した。一種のパッケージ回路である。セントラルラボはAT&Tベル研究所からトランジスタのライセンスを取ったので、ジャック・キルビーはマレーヒルのベル研究所の2週間コースでトランジスタの勉強をし、ミルウォーキーのセントラルラボに戻ってトランジスタを作り始めた。それにしても2週間くらいのコースの知識でトランジスタを独力で作るのは大変だったろう。AT&Tがトランジスタの技術を開放したのは、AT&Tがあまりに強大なため、独占禁止法によって自社技術を他社にも開放しなければならなかったからである。1958年5月、ジャック・キルビーはテキサス州ダラスのテキサス・インスツルメンツに入社した。ジャック・キルビーはそこで、トランジスタ、抵抗、キャパシタをモノリシックにゲルマニウムに作り込む集積回路というアイデアを持っていた。

 当時、ラジオやテレビやコンピュータなどの電子装置が複雑化しつつあった。配線をどうするか、難しくいえば「The Tyranny of Numbers」と呼ばれる問題をどう解決するかが問題になっていたのだ。米陸軍信号部隊(レーダー部隊を秘匿するための名称としてできた部隊名)はマイクロモジュールというアイデアを出した。すべての素子を同じ形、同じ大きさに作り、配線も埋め込んでおくというものだった。

 テキサス・インスツルメンツはジャック・キルビーが入社したころ、まさにマイクロモジュールに取り組んでいたのである。ジャック・キルビーは、マイクロモジュールは「The Tyranny of Numbers」問題の答えにならないと考えていた。半導体だけですべての活性、非活性素子を作り、機能素子から物理的電線の配線を追い出してしまうというのがジャック・キルビーのアイデアだった。1958年7月、このアイデアをジャック・キルビーは自分の実験ノートに記している。

 ジャック・キルビーは、トランジスタがすでに拡散されたウェハーを入手してマスクし、エッチングした。ジャック・キルビーは運が良く、そして腕や勘も良かったので、世界初のモノリシック集積回路は一発で動いてしまった。ただし、それはえらく粗雑な代物で、ガラス板の上にくっつけられた配線が飛び出したゲルマニウムの小片であった。写真が残っている。また彼の実験ノートも残っている。このモノリシック集積回路を使って何を作るだろうかと考えてみると、普通ならデジタルのにおいのする非安定マルチバイブレータだろう。しかし、ジャック・キルビーが作ったのは、アナログのにおいがする位相シフト方式の発振器の集積回路だった。

 1958年9月12日、恐れを知らないジャック・キルビーはテキサス・インスツルメンツの重役たちの前で、位相シフト方式の発振器の集積回路のデモに成功する。オシロスコープの上に見事なアナログの正弦波が表示されたという。できればデジタルの波形が表示されてほしかったところである。もし最初の集積回路が非安定マルチバイブレータか双非安定マルチバイブレータであり、波形がデジタルならば、特許そのものに盾突くすきはなかったかもしれない。なんだ、アナログ回路を目指したか、といわれる感じは確かにある。

 ジャック・キルビーの人生における偉業はこの短い期間に成就されてしまった。モノリシック集積回路のアイデアは1964年ミニアチュアライズ電子回路として米国特許3138743として成立するのである。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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