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IT業界の開拓者たち

第38回 パケット交換ネットワークの父

脇英世
2009/4/2

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 ポール・バランの研究は1960年から1962年にわたって行われ、1964年には報告書にまとめられた。その2本は機密指定であった。ポール・バランによれば、機密指定の1本は暗号に関係するもの、もう1本はAT&Tの長距離通信回線の具体的配置を述べたものだという。

 ところが、実はもともと機密指定になっていたのは別の文書である。普通に知られている文書は1964年8月付の11巻の報告書である。

1. 分散通信ネットワーク序論


2. 広帯域分散通信ネットワークにおけるホット・ポテト経路制御のデジタル・シミュレーション


3. 分散ネットワークでの経路長の決定


4. 優先度、プリシーデンス、過負荷


5. 歴史、ほかの方法、比較


6. 最小コストのマイクロ波


7. 高速分散ネットワーク交換の暫定的工学仕様と予備設計


8. 多重化基地


9. セキュリティ、機密、改ざんに対する考察


10. コスト評価


11. 結論的概観

 わたしも勘違いしていて、誰もが勘違いしていたのだが、これらの11巻の報告書そのものは機密指定になっていなかった。入手しにくかっただけのことらしい。

 これら以外の報告書が2本存在し、それは確かに機密指定になっていた。

 さらに面白いことに、第12、13巻も確かに存在した。これも機密指定である。

12.「分散通信:弱点とパッチ(機密指定)」ポール・バランRM-5067 1966年7月


13.「分散通信:デジタル分散通信システムのユーザー・ロケーション(機密指定)」ポール・バラン/R・ヒルシュフェルド RM-5174-PR

 実はバランの研究は秘密でも何でもなかったという説明もある。ポール・バランのパケット交換ネットワークの論文は1964年5月のIEEEの『Communication Transactions』という学会誌に掲載されていたし、IEEEの『スペクトラム』という雑誌にもその抄録が出ていた。ある意味では完全に公開されていたのである。

 またバランは1962年から63年にかけて米国中を飛び回って、パケット交換ネットワークの理論の説明と普及に尽力した。バランの11巻に及ぶ膨大な論文はその旅行の飛行機の中で書かれたものであるという。

 ポール・バランの分散ネットワーク、つまりパケット交換ネットワークの理論は極めて包括的なもので、これを実現したくなるのは当然だろう。しかし、この提案は極めて野心的で反対は猛烈だった。特にAT&T(アメリカ電話電信会社)の抵抗は激しかった。バランはAT&Tの本社へ乗り込んで、重役たちを前に説明したが、アナログ通信に凝り固まったAT&Tの重役たちはデジタル通信のパケット交換ネットワークをまったく受け入れなかった。複雑である、不可能だという反対理由も続いた。しかし最も強力な反対理由は、AT&Tの支配を揺るがすような革新的なネットワークの出現は許せないというものであったろう。

 1965年ランドは米空軍に対してパケット通信ネットワークの構築を提案した。米空軍はMITRE社に命令して委員会を組織させ、この提案を審査することになった。委員会の結論はランドの提案は適切で、米空軍は直ちにパケット交換ネットワークを構築すべしというものであった。そして、まさに実現を目指す計画が立ち上がろうとしたとき、国防総省は1949年の国防再組織法によって、1966年ランドの提案を新設のDCA(国防通信局)へと回した。

 ところが国防通信局は組織されたばかりで人材不足であり、AT&Tを中心とする勢力の猛烈な反対に弱かった。通信はアナログでやるもので、デジタルでやるものではないという当時の通信の定説に対抗できるような逸材がいなかった。

 そこで1966年ランドのポール・バランの提案はDCAのレベルでつぶされてしまった。ポール・バランの面白いところはそれからで、ポール・バランは国防総省のフランク・エルドリッジに働き掛け、アナログ方式による戦略指揮・統制システムの構築をつぶしてしまった。痛み分けにして、それ以上計画が進展しないようにしたのである。

 ポール・バランは1963年には、早くもパケット交換ネットワークに見切りをつけ、銃の検知装置の研究に関心を移してしまう。

 ポール・バランの最近の講演を読んでみた。確かに深い洞察はあるが、あまり強い印象は受けなかった。しかし、それは筆者の無理解のなせる技かもしれない。パケット交換ネットワークも昔はまったく理解されず、AT&Tは、ポール・バランのパケット交換ネットワークは動作しないだろうと公言していたほどだ。

 ポール・バランは研究者というよりは、むしろやり手の経営者らしく、これまでにもテレビット、パケット・テクノロジーズ、イクアトリアル・コミュニケーションズ、メトリコム、インターファックス、Com21などの会社をおこしてきた。

 ポール・バランはインターネットのコンセプトを、無線通信の世界に広げようとしている。それほど有名でもなく目立たないが、むろん大成功者にして大資産家である。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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