第40回 インターネットの父
脇英世
2009/4/6
UCLAでのIMP担当チームはビントン・サーフ、ジョン・ボステル、スティーブ・クロッカー、ビル・ネイラーなどの若い大学院生たちであった。
1972年、ビントン・サーフはPh.Dを取得した。続いて1972年10月、コンピュータ通信の国際会議が開かれた。このとき、DARPAのラリー・ロバーツは、BBNのロバート・カーンを説いてARPANETの展示を行わせた。この展示は成功であったようだ。
1972年11月、ビントン・サーフはUCLAからスタンフォード大学のコンピュータ電気工学科の助教授に就任する。ここでロバート・カーンは、ビントン・サーフを説いて無線パケット通信のプロジェクトに参加させる。
1974年、ビントン・サーフとロバート・カーンはIEEEの論文誌に「パケット・ネットワーク・インターコミュニケーション用プロトコル」という論文を書いた。これが有名なTCP/IPプロトコルの原形であり、ビントン・サーフの偉大な業績として歴史に残る大論文になる。
TCP/IPプロトコルは当初からTCP/IPプロトコルと呼ばれていたわけではなく、サーフ・カーン・アルゴリズムと呼ばれていた。当初TCP/IPプロトコルはTCPプロトコルだけで存在し、IPプロトコルは後に登場した。
TCPの基本的なアイデアはビントン・サーフによるものらしいが、すでに1973年においてサセックス大学での研究会で第一ドラフトが出ていた。その後、ビントン・サーフとロバート・カーンは1978年までの4年間、TCPの4回の改訂に取り組むことになる。TCPはその後、1981年9月にRFC793として結実し、インターネットの堅固な基盤となる。
1976年から1982年にかけて、ビントン・サーフは国防総省のDARPAで働いた。1979年ごろから、ビントン・サーフはフォートブラッグ基地において無線パケット通信に取り組む。当時の研究の目的は、機動を伴う野戦におけるパケット通信の使用であり、衛星パケット通信、無線パケット通信、有線パケット通信の統合的運用が目指された。このことから、核戦争下でも米軍は米国本土から大西洋を渡り、欧州へ進撃し、最終的にモスクワへ進撃することを考えていたようだ。恐ろしいことである。
1980年、米軍はTCP/IPを正式軍用プロトコルとして採用し、1982年軍用ネットワークであるARPANET上ではTCP/IPだけを使うことが決定され、ほかのプロトコルは排除されることになった。そして1983年1月1日、インターネットの基幹を構成するARPANETからTCP/IP以外のプロトコルは消えた。
1982年11月にビントン・サーフはDARPAを去り、MCIに入社する。
1986年、ビントン・サーフはCNRI(Corporation for National Research Initiative)の副会長になった。1988年ごろ、ビントン・サーフはインターネットとMCIメールとの接続を強力に働き掛けた。
さらに1992年、ビントン・サーフはインターネット協会を設立し、初代会長となる。そして「すべてのものにIPを」という運動に乗り出す。フレームリレーだろうとATMだろうとISDNだろうと、すべてのものにインターネットのIPを付けることを推進した。こういった非営利組織の長には向いた人らしい。
インターネットの父と呼ばれる人は多い。ポール・バランもそうかもしれない。しかし、彼はパケット通信ネットワークの父と呼ばれるべきであると考えている。
J・C・R・リックライダーはどうだろう。彼もインターネットの父というよりは、対話型コンピューティングの父なのではないだろうか。
それではローレンス・G・ロバーツはどうだろう。彼はインターネットの実際上の建設者ではあったが、インターネットの父になるには惜しいことにカリスマ的な哲学性が少ない。
そこで、インターネットの父となるとビントン・サーフということになってしまう。どうしてだろう。これは1つにはビントン・サーフが現在勤務しているMCIという電話会社の宣伝のうまさがあると思う。
MCIという電話会社のホームページを見ると、そこではビントン・サーフ(MCIではビント・サーフと呼んだりしている)の扱いが極めて大きい。トップページに「Cerf's Up」というリンクが張られており、リンク先には「The Cerf Report」「Cerf's Up Q&A」「Cerf's Up Talks and Presentations」「Vint Cerf Profile」などのコンテンツが設けられているのだ。
このホームページでの扱いようからいえば、ビントン・サーフは会長や社長よりも上だ。すると自然に「MCIはインターネットの父であるビントン・サーフの会社だから、きっとインターネットに強いに違いない」と思い込まされる。
しかしよく調べてみると、ビントン・サーフはMCIのデータアーキテクチャ担当の上級副社長ではあるが、彼の上に会長1人、社長が数人、執行副社長が数人いる。さらに彼と同じ上級副社長という肩書は10人以上に対して提供されている。ビントン・サーフは、日本でいえば常務クラスだろう。決定的なのは、取締役会にはルパート・マードックの顔は見えても、ビントン・サーフの顔が見えないことだ。
つまりビントン・サーフは、MCIの経営の枢要にかかわることはあまりないが、企業イメージの向上には大きく寄与している人物だといえる。
ビルトン・サーフ自身の趣味は、良いワインと料理を作ること、SFだそうだ。
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
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