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IT業界の開拓者たち

第47回 フリーソフトの導師

脇英世
2009/4/16

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 リチャード・ストールマンはGNUプロジェクト推進のために、1985年、FSF(フリー・ソフトウェア・ファウンデーション)を設立した。これは免税特権を持つ財団になっている。FSFは寄付によって35万ドルの原資を集めたが、ソフトのコピーやCD-ROMを売ることによって収入を得た。

 パソコンの世界にとっては、リチャード・ストールマンは少し程遠い存在だった。LISPがパソコンの世界で主流派になることはなかったし、UNIXもLinuxが出るまでは高嶺の花という感じであった。また、マイクロソフトと競合する勢力も健在であった。しかし、マイクロソフトの独占性が強まり、これとLinuxが対立するようになると、リチャード・ストールマンの存在は大きな意味を持つようになってくる。

 1998年11月、マイクロソフトの機密文書がエリック・レイモンドにより、ハロウィーン文書I、II、IIIとして公開された。この文書はマイクロソフトが対Linux戦略を検討した機密文書であり、マイクロソフトも公式に本物と認めている。

 この文書を書いたマイクロソフトの部隊は、エリック・レイモンドの次の文書に思想的影響を受けている。

 そして、この文書自体がリチャード・ストールマンの哲学から大きく影響を受けている。つまり、マイクロソフトの部隊は間接的にリチャード・ストールマンの思想的影響を受けたことになる。導師としての存在が、にわかに大きくなったのである。なお、これらの文書には、山形浩生氏の闊達(かったつ)な訳がある。

 リチャード・ストールマンは、最近、「自分を邪魔者とし、歴史を改竄(かいざん)して自分の存在を否定し、歴史から抹殺する勢力の動きがある」と主張している。そういった勢力は、確かに実在する。

 まず、リチャード・ストールマンから嫌疑をかけられたのが、オライリー・アンド・アソシエイツである。オライリー・アンド・アソシエイツは、これまで地道にフリーソフトのマニュアルを出版してきて、最近成功を収めつつある。オライリー・アンド・アソシエイツは、1998年4月の「フリーソフトサミット」と、1998年8月の「オープンソース開発者の日」に、リチャード・ストールマンを招待せず、排除した。リチャード・ストールマンによるコピーレフトの主張と、フリーソフトはフリーなマニュアルを必要とするというオライリー・アンド・アソシエイツの利害は、対立するに至った。オライリー・アンド・アソシエイツの社長は、リチャード・ストールマンを歴史から抹殺しようという気持ちはなく、現在の活動から締め出したいだけだといっている。リチャード・ストールマンの聖イグナチウスを気取った長口舌と扇動は鼻もちならず、彼の非妥協性、排他性は、味方になろうとする者まで敵にする。リチャード・ストールマンは狂信的な小集団の教祖にほかならず、オライリー・アンド・アソシエイツはリチャード・ストールマンのおかげで多大の損害を出したと主張する。

 次の批判勢力はエリック・レイモンドである。アンドリュー・レイモンドによるエリック・レイモンドのインタビューの中には「ボストンから来た狂った男」という激しい表現がある。エリック・レイモンドは語る。

 「わたしはリチャードを深く愛しているよ。われわれは1970年代から友達で、彼はわれわれのコミュニティに貴重なサービスを提供してきた。でもいまわれわれが直面している闘いにおいて、イデオロギーはハンデにしかならない。われわれは経済学と開発プロセスと期待される見返りに基づいた議論をしなければならない。われわれはバリケードで拳を突き上げるコミューン戦士のように振る舞う必要はないんだ」

 またLinux関係者もリチャード・ストールマンがLinuxをGNU Linuxと呼ぼうとしていることを嫌っているという。関係者によれば、リチャード・ストールマンは非妥協的ですべてを支配したがる。せめてリーナス・トーバルズのように他人との共同作業において、もう少し許容力があればという。

 こうして内部からリチャード・ストールマンの批判勢力が台頭してきたことは、オープンソフトが巨大な勢力に成長してきたことを意味するものだろう。リチャード・ストールマンは過去の人ではない。それを実証した事件がある。

 1999年12月12日、リチャード・ストールマンは次のように述べた。

 「どうかアマゾンから買わないでいただきたい。アマゾンはeコマースに関連して誰にも明らかで重要なアイデアについて、米国特許5960411を取得した。特許のアイデアは、あるアイテムを買うためのWebブラウザのコマンドが、買い手のIDに関する情報を持っていける、というものである(これは、前もって買い手のWebブラウザがサーバから受け取った、『クッキー』という一種のIDコードを送り出すことによって実現される)」

 「アマゾンはこの簡単なアイデアの使用を禁止しようと訴訟を起こしている。このことはアマゾンがこのアイデアを独占しようと意図していることを示している。これはWWWとeコマース一般に対する攻撃である」

 リチャード・ストールマンは続ける。

 「問題となっているアイデアは、ある会社が、以後クレジットに関して、ある人のIDを示せるように何かを与えることである。これは何も新しいことではない。物理的なクレジットカードは、結局は同じことをやっているのである。しかし米国特許局は、明白で、よく知られたアイデアに対して特許を毎日発行している。その結果は悲惨である。現在、アマゾンはある大きな会社を訴えている。もし、これが2つの巨大な会社の間だけでの争いならば、それは重要な公共的な問題にはならない。しかしこの特許は、米国で(そして同様の特許を与えるそのほかすべての国々で)Webサイトを運営しているあらゆる人に対して、アマゾンが及ぼすことのできる力を付与するものである。今日、1つの企業が訴えられているだけだが、この問題はインターネット全体に影響する」

 実際、こんな安直な特許が次々に認められたらどうなるのかと、米国だけでなく、日本でもみんな心配したものである。リチャード・ストールマンは厳しく断罪する。

 「アマゾン1人(社)が誤っているのではない。合衆国の特許局は非常に低い審査基準しか持っていないことを認めるべきであり、合衆国の法廷は、彼らを裏書きしてやったことで責められるべきである。この政策は一般に有害である」

 痛快な文章はまだ続く。

 「政府の愚劣な政策はアマゾンにチャンスを与えた。しかしチャンスはいい訳にならない。アマゾンはこの特許を獲得する選択、そして法廷で攻撃のために使用するという選択を行った。アマゾンの行動の究極的な道義的責任はアマゾンの役員たちにある。法廷はこの特許が法的に無効であることを理解してほしい。(中略)。しかし、法廷がeコマースの自由を決定するまで、受動的に待つ必要はない。いますぐわれわれにできることがある。われわれはアマゾンと取引するのを拒否できる。彼らがこの特許でほかのWebサイトを威嚇したり、その活動を制限したりするのを中止することを約束するまで、どうかアマゾンから何も買わないでほしい。(以下中略)」

 リチャード・ストールマンは1999年12月12日、この檄文(げきぶん)を書いた。強烈なパンチだった。迫力に満ちた男である。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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