第48回 ネットワークコンピューティングの推進者
脇英世
2009/4/20
1983年にVAX用のオラクル3が出るが、そこに至るまでの道は困難に満ちたものであった。同年、RSIはOracle Corporation(以下、オラクル)に社名変更した。当初、オラクルにはVAXがなく、ほかの会社のVAXを借りて開発したのである。オラクル3の品質や信頼性は相当ひどいものだったらしい。1986年にオラクル4が出て、やっと信頼に足る製品になった。
オラクルの社風はがむしゃらだった。自社製品の売り込みを続け、急成長に次ぐ急成長を続けた。1986年3月、オラクルは株式を公開し、一流企業への仲間入りを果たした。1988年11月にオラクルはオラクル6を出荷した。
急成長は必ず歪みを生じさせるものである。1990年3月、オラクルは赤字決算を発表し、株価が急落した。続く1991年、オラクルは減益予想を発表し、危機に瀕した。解雇を行わない伝統に反して、400人の人員削減を行った。オラクルの資金繰りは悪化したが、新日鉄が極めて寛大な条件で8000万ドルを融資し、オラクルを救った。
ラリー・エリソンは1983年に設立されたエヌキューブ(nCUBE)という会社に注目していた。この会社は超並列プロセッサMPPというコンピュータを作っていた。パソコンに使っている普通のマイクロプロセッサを数千個集めて、並列処理ができるような仕掛けのコンピュータである。1989年、ラリー・エリソンはボブ・マイナーらとともに、エヌキューブの支配権が握れるだけの株式を取得した。この株式取得に際してラリー・エリソンはほかの株主に対して借金をしたが、この借金を返済しないで問題を起こした。1991年に訴訟になった。ラリー・エリソンは、散々期限を引き延ばしてから支払いをした。彼らしいやり方である。
エヌキューブの超並列プロセッサ上でもオラクル7を動かしたいというのが、エヌキューブ取得の表向きの理由だが、多少はラリー・エリソンの道楽的な面があったと思われる。何しろラリー・エリソンはセスナの双発ジェット機サイテーション、ランケアのドリームキャチャーのほかに、マルチェッティS. 211というジェット練習機を持ち、さらに最新鋭ジェット戦闘機MIG29やF16を買いたいといっているのである。
獲得したエヌキューブの超並列プロセッサを何に使うかが問題であった。エヌキューブの上でオラクルのRDBを動かすことは難しく、また苦労したほど効率の向上が望めるかという問題がある。さらに、仮に、高速でオラクルのRDBが動いてもそれを何に使うかという問題があるのである。たまたま1990年代初頭、情報スーパーハイウェイが話題になると、ビデオ・オン・デマンド(VOD)が注目された。ラリー・エリソンはVODこそエヌキューブの超並列プロセッサの使い道だと確信し、オラクルのメディアサーバはビデオ、オーディオ、テキストが管理できると主張した。この主張にはかなり無理なところがある。
オラクルはUSウェストとVODについて契約したが、同社はこの件に関して次のように述べている。
「この契約においてわれわれはVODを大体5年以内に引き渡すことになっていた。本当をいえば、われわれにはそれをやり遂げられるかどうか分からなかった。実際そのことに関して考えるのに大して時間はかけていなかったが、5年は長い時間で、5年のうちに技術が大きく動いていくし、われわれが約束を守ることだってできるかもしれない。われわれはいくつかアイデアを持っていたけれど、ソリューションは持っていなかった。しかし一般的にいって5年間ならできると考えたのだ。大丈夫だと思った」
オラクルというのは、ずいぶんひどい会社だと思うかもしれない。しかし、わたしもいくつか大きなプロジェクトの審査に参加して気が付いたが、超一流のコンピュータ会社でも官公庁部門の仕事はすべてこんな調子である。誰か偉い役人が思いついたことを、書類はきれいだが、実際は実現可能かそうでないかも考えずに何でも簡単に請け負っている。失敗しても、どうということはない。最後はすべてうやむやになってしまう。オラクルが新興会社だからひどいものだと思うが、何のことはない。業界は概してその程度のものではないかと皮肉の1つもいいたくなるのである。
一方、ブリティッシュ・テレコム(BT)との契約はUSウェストの場合とは違っていた。BTはVODのソフトは後からでもよいが、6カ月以内にVODのハードが欲しいといったのである。これはさすがのラリー・エリソンもびっくりしたらしい。VODのメディアサーバはエヌキューブのMPPを使えばそれらしいものができるとしても、受信側のセットトップボックス(STB)が不足していた。そこでラリー・エリソンはアップルに行き、STBを作らせようとした。当時ラリー・エリソンは500ドルのSTBを提供し、これを250ドルに下げることが目標であるといった。
VODは結局失敗し、誰も何もいわなくなってしまった。あの騒ぎは何だったのだろうと思うことがある。
そうこうする間にも1992年6月、オラクル7が発売された。
1995年9月、ラリー・エリソンはネットワーク・コンピュータ(NC)を発表した。一般的には、1996年1月の来日時に発表したのが知られている。ラリー・エリソンによれば、企業体においては強力なサーバに強力なネットワークを加えて、オラクルのRDBソフトのように強力なミドルウェアがあれば、端末機は極めて簡素なものしかいらない。端末機は500ドルもあれば十分で、ハードディスクさえいらない。必要なデータのすべてはネットワークから取り込めば済むことだとした。これが500ドルコンピュータのコンセプトであり、1996年5月、アップル、IBM、ネットスケープ・コミュニケーションズ、オラクル、サン・マイクロシステムズの5社がNCとして発表した。
マイクロソフトとインテルはNCに対抗して1996年10月、ネットPCのコンセプトを発表した。ネットPCはTCO(Total Cost of Ownership)を軽減するものとされた。オラクル陣営のNCにしてもマイクロソフト陣営のネットPCにしてもコンセプトが大型コンピュータ時代の端末機への逆戻りであって、広くは受け入れられなかったように思う。しかし、ともあれNCを通じてラリー・エリソンは有名になった。
本業のRDBについては、1997年7月オラクル8が出荷された。順調といいたいが、米国のパソコン産業のほとんどは対日依存度が大きい。日本は全世界のコンピュータの1割程度しか保有していないのに、米国パソコン産業の売り上げに占める比率が大きい。これはオラクルに限らずマイクロソフト、アップルでも同じである。文句を一切いわないドル箱である日本の経済が不調となると、米国パソコン業界は苦しい。
さて『カリスマ』(マイク・ウィルソン著、朽木ゆり子、椋田直子訳、ソフトバンククリエイティブ刊)という本に面白い冗談が載っている。
質問 神とラリー・エリソンの遣いは?
回答 神は自分がラリー・エリソンだとは思っていない
ちょっと分かりにくいが、「ラリー・エリソンは自分が神だと思っている」という冗談だろう。
米国屈指の大富豪で、3度結婚して3度離婚し、数々の浮名を流す超プレイボーイ。高級外車を乗り回し、シドニー・ホバード・レースで優勝した大型ヨットSAYONARA(サヨナラ)号を持ち、ジェット練習機で大空を駆け巡り、分子生物学に興味を持ち、バレエとポーの詩と日本文化を饒舌に語る。ラリー・エリソンはアメリカン・ドリームを体現したようなカリスマである。
■補足
ラリー・エリソンのオラクルはSAPとIBM DB2の追撃を受けているが、まだその地位は揺らいでいない。オラクルはオラクル11iで反撃している。通常のパターンでは値引き戦争になり、それから事態が深刻化していくのだが、まだそこまでは行っていない。しかし、いずれそういうときも来るだろう。そのときラリー・エリソンのカリスマ性がどれだけ通用するのか、見ものである。
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
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